2022年4月

2022年4月4日
第200回課題図書:「ペンギンの憂鬱」アンドレイ・クルコフ 著/沼野恭子 訳

2009年に発足した赤メガネの会。この度、晴れて第200回の開催を迎えることができました。これまでに出会ってきた数々の名作名著に思いを馳せながら、第300回、第400回と赤メガネの会の歴史を紡いでいきたいです。

さて、そんな記念すべき第200回の課題図書は、ソビエト連邦崩壊後のウクライナのキーフ(キエフ)を舞台にした「ペンギンの憂鬱」でした。

本作は、孤独で売れない作家のヴィクトルと、彼と共に暮らすペンギンの物語です。新たに始めた新聞の死亡記事を執筆する仕事をきっかけに、身の回りで不可解な出来事が起こり始め、見えない敵、押し寄せる不条理や不穏に翻弄される主人公が印象的な一冊です。

多くのメンバーが楽しんで読んだ様子でしたが、やはり今のウクライナ情勢と切り離して考えることは難しいようでした。しかし、ここでは一旦、2022年のウクライナ情勢からは切り離して本書について考察していきたいと思います。

1991年のソビエト連邦崩壊後に独立したウクライナは、経済も軍事力も弱り、ひとつの国として立て直し、新たな環境に適応していく必要がありました。ヴィクトルとペンギンのミーシャは、それぞれ独立したウクライナになぞらえたキャラクター性を持っており、ソ連という大きな組織から独立したウクライナと、社会からはみ出て生きているヴィクトル、本来の生息地とは異なる地域にいるミーシャがリンクしており、それぞれの「孤独」が別の側面を持っていることがとても印象的でした。

*ヴィクトルの場合
・恋人に去られる。
・新聞社の仕事をしているが、提供された資料をもとに自宅で記事を書くだけ。
・ソーニャの面倒を見ることになるが、接し方がわからない。
・ソーニャのベビーシッターとしてニーナを迎え入れ、ニーナと深い仲になるも、恋人という感覚はない。
・ソーニャ、ニーナと疑似家族のような関係を築くも、その関係性がどうでもよくなってしまう。

→「孤独」を望んでいるわけではないが、結局自分から「孤独」を求めているよう。

*ミーシャの場合
・本来は南極で暮らす集団鳥だが、動物園で飼われていた。
・動物園の経営が立ち行かなくなり、単身でヴィクトルに飼われることになった。

→自身の意思とは関係なく、住む環境を変えられ且つ仲間のいない状況で生きている。人間のエゴによって「孤独」を強いられている。

→元々の生息地、コミュニティーから切り離された状況は、ヴィクトルにいきなり預けられた少女ソーニャと似ている。そのため、両者が心を通わすようなシーンは心温まる印象を受ける。

本人が望んでいたかは別として、ヴィクトルは自ら「孤独になっていく」のに対し、他者(人間)によって「孤独にされた」ミーシャ。能動的な孤独と受動的な孤独。孤独特徴が真反対な両者だから上手く共存できていたのかもしれないなと思いました。

そして、人間のエゴに関連して、物語の中でミーシャは憂鬱症と診断されますが、これはミーシャを人間に置き換えた時の行動が憂鬱症の人間に類似しているからであり、本当に憂鬱症だったのかは疑問が残りました。そもそもペンギンに憂欝と感じる瞬間があるのかなと気になりました。タイトルにそぐわない感想ですが、個人的には、仲間と離れて生きるミーシャにはどうか幸せでいてほしいです。

昨今のニュースでウクライナの地名など見聞きすることが増え、本書にも出てくる各地域の悲惨な現状が思い浮かびやすく、読んでいて苦しい思いをするメンバーもいました。この度の軍事侵攻によって人も街も変わってしまい、元に戻ることは決してありません。戦争は全てを壊してしまい、無益なものでしかないからです。しかし、本書のような小説を読むことで当時のウクライナや、ウクライナの人々の日常を知ることができたのは収穫であることは間違いないし、忘れてはいけないことなのだと思いました。

2022年2月よりロシアによる軍事侵攻を受けているウクライナについて、私たちができることは少ないかもしれないですが、この課題図書のような作品を通して、まずは知ること、学ぶことから始めていきたいです。

─ 文・水野 僚子 ─


2022年4月23日
第201回課題図書:「花心」瀬戸内寂聴

今回の読書会に参加したメンバー全員、瀬戸内寂聴さんの小説は初めて。
僧侶の印象からか抵抗があった人も表現の巧さと多くを語らず真理をついてくる文章の美しさ・繊細さに 驚いていた。

この本に収められているのは5編の短編小説。
どの作品も女性による女性の為の「性」を書いた作品だと思う。

表題作「花芯」は、親の決めた許婚と結婚するも愛を見いだせずにいる主人公の園子が夫の訳あり上司に惹かれ、夫と子どもを捨て恋に走る。
結ばれたと同時に恋は終わり、かんぺきな…しょうふ(文中で平仮名で表記されている)へとなっていく。

『かんぺきな…しょうふ』とは?
という疑問が…

文頭の「きみという女は、からだじゅうのホックが外れている感じだ」にはインパクトがある。園子はそういう女性。
しかし複数の男性と関係を持っても芯はぶれない、世間に流されず純粋に素直な自分でいられる、
だから『かんぺきな、しょうふ』になったのではないか。
と読書会を経て考察した。
読まれた皆さまはいかがでしょう?
ちなみに「花芯」は中国語で子宮の意味。

昨年99歳で亡くなられた瀬戸内寂聴さんは36歳でこの作品を発表した時『子宮作家』と酷評され5年間文学雑誌から干されている。
誰にでもある女性の心情を書いただけなのにそれ程の内容かとメンバーから意見が出た。

今から60年以上前の時代。
良妻賢母を求め、女性に貞操を押しつけていた男性中心の社会にはセンセーショナルな内容で脅威を感じたはず。
つまり男性陣はビビったのだ!
女の業を表現した先駆者の苦労。

後にこの不幸な5年間があったから、その後60年間の小説家生活が続いた大切な作品と語っている。

このレポートを書いていて、思い出すのは90歳を過ぎてからのテレビのインタビュー。
「悪口雑言を浴びせてくる人がたくさんいて、みんな死ねーー!て思ったら死んだわよ。」と大きな笑顔で屈託なく応える姿。
ニヤッとしてしまう。

今回花芯を読んで、園子の悲哀は理解できるがこんな人が身内にいたら大変だな…というのが正直な感想。
瀬戸内寂聴さんの事がミステリアスで魅力的な印象に変わったので他の小説も読んでみたい。

─ 文・AZUMI ─