2022年12月

2022年12月18日
課題図書:「嫉妬/事件」アニー・エルノー著/堀茂樹・菊池よしみ訳

今回の課題図書「嫉妬/事件」のレポート担当が決まってから、僕はなかなか落ち着かなくなった。
ノーベル文学賞が関係しているからだ。

3年ほど前の課題図書に、その年のノーベル文学賞を受賞したペーター・ハントケの「ドン・フアン(本人が語る)」が選ばれた。
その150ページほどのちょうど読みやすそうな厚さの本の見てくれに、僕は油断した。実に油断した。
読めども読めども本当に分からなくて、読み解けなかった。そこに書かれてる5行を読むごとに過去の5行が記憶から消されてくような、3の数字と倍数ごとにアホになる世界のナベアツと重なり合う自分がそこにいて、ショッキングな体験だった。ナベアツに思考を邪魔されて読み解けなかったわけではもちろんない。ペーターハントケの膨大な記憶や経験の蓄積があの文章を作り上げたのだろうけど、それを味わうための準備が自分には完全に足りてなかった。

当時の課題図書レポートを担当した茂さんの名文章を読めば、精読が必須で、作家のことや執筆当時の世界情勢の背景を踏まえて読まなければならない作品だったとわかる(2019年11月の課題図書にて茂さんのレポート読めますので是非)。

その記憶もあって、ノーベル文学賞=めちゃくちゃ頭を使うことを求められる、さもないとコテンパンにされる読書体験になる、という印象を刻み込まれた僕には、2022年のノーベル文学賞を受賞したアニー・エルノーの本をレポートすることは難しい作業になるような気がした。アニー・エルノーという名前も今回初めて知ったし、フランスっていうのも一癖ありそうなイメージ持ってるし。どんどん不安。

「嫉妬」と「事件」の2作はそれぞれ2002年と2000年に出版された、短編と中編の間くらいの作品。
それぞれのあらすじを紹介すると、「嫉妬」は文中にインターネットが出てくるくらいに最近の2002年を舞台に”私”が別れた彼と彼の次の相手に心をかき乱す話。「事件」は2000年の”私”が1963年の学生だった”私”に起こったことを振り返る話。

読む前の不安をあれこれ語ったが、想像と違ってとても文体がシンプルだからか、内容がどんどん頭に入ってきた。今はこの本が課題図書に選ばれて良かった、読んですごく良かったと思っている。

アニー・エルノーの作品のほとんどは自伝的に書かれており、オートフィクション(作者と語り手が同じという点で自伝的でありながらも、同時に小説的フィクションも含まれる。)の作家だという。だからここに書かれた内容はアニー・エルノーの実体験であるとも言えるし、あるいはどこかは創作だとも言えるが、どっちなのか読者には分からない。
しかしどちらか知る必要もなくて、書かれてる思考や行動の全てがリアルで、本当だろうが嘘だろうが読んでる間ずっと僕に影響を与え続けてる感覚があった。「嫉妬」の”私”の中の膨大な心の声・独白も、「事件」の”私”が体験する事の空気感もどちらも読者を圧倒する。しかもその文体は簡潔だから、言葉の力が凄く強い。是非読んで欲しいと思う。

読書会メンバーの読んだ感想は以下。
・同じ女性として、胃が痛くなるほどに、感情が曝け出されていて衝撃的。
・「嫉妬」は妄想から生まれ、その苦しみからどう抜け出すか、自分にもある嫉妬の感情、それを言葉にする文字の力を感じた。「事件」は日記・手帳をもとにしてその頃の感情を振り返って書いたり、その頃にいた場所に今現在行って感じたことを書いたりが入り乱れてすごい。
・「嫉妬」は心の中がずっと喋ってて、それをずっと聞かされてる感覚でそれが読みにくかった。「事件」は本来知りたくない、関係したくないことをあくまで感情より事実だけで書かれてることにショックを受けた。
・フランス文学は小難しくて嫌だと思ってたが、読みやすかった。「嫉妬」はさすがフランス女性の恋愛事情だと。「事件」の方が面白い。作者は書くことへの執念、そのためならどんなことも経験しようという、その気概がすごい。
・「嫉妬」の方が面白い。冷徹に描く、あくまで距離感のある文章だったからするっと読めた。元彼よりも今の彼女へと関心が動くのが興味深い。「事件」は”私”の周りの大人が冷酷なのが痛々しかった。
・「嫉妬」が良い。元パートナーへの嫉妬は、やるやると共感できる。「事件」はとても大事なある時代の記憶だと思うけど、自分に関係があるかどうかというところで読み辛かった。中絶することの賛成反対を声高に言うんじゃなく事実を書いてることで、むしろより訴えかけてくる。

課題本に関連して、メンバーに質問を2つ。
「嫉妬」に関連して、別れた後にその相手のことが気になるかどうか。
それと、アニー・エルノーがなぜノーベル文学賞に選ばれたかの個人的な意見が聞きたい、という質問。

最初の質問に関しては、
・気にならない、が2人(別れると気持ちがフラットになる。気にすると傷つくと分かってるから気にしない。)
・場合に寄る、が3人(自分の方から振ったら、自分と同じ年の女と付き合われた、その立場で考えると気になるし、知りたくなる。別れ方による、自分から振った相手は調べない。自分基準で考えて自分と同レベルの人なら腹立つ、逆にもっとレベルが違えば腹立たない。)
・気になる、が1人(振られたら、徹底的に調べる。)
だった。

なぜノーベル文学賞に選ばれたかの質問については、
・法律の元で苦しむフランス低所得者の環境、社会通念が何気なく書かれていて、「事件」を通して女性の地位が見直され、男性にも共感させる文章に価値がある。
・法律に苦しむ女性が、さらに周りから助けられず突き落とされる、その境遇に突然陥る23歳の”私”。それを作者は淡々と自分の目に映ったものを文字にした。その文章力で物の見方を根本から変えてみせた。
・中絶は中々人に言えないこと。その経験した恐怖を誰が読んでもわかるように書いたその勇気。
・妊娠は女性に多大な負担があり、中絶は圧倒的に女性に不利。日本は両者の合意ではじめて中絶が可能。これはもっと議論されるべきと、読んで思わせられたから。
・時代も国も違う私が読んでも冷たさを感じて衝撃的だったから。
・作家個人の経験をもとに、中絶を考えることを文学で伝えたから。そして男性はもっと責任を取れと思った。
という意見を頂いた。

読書会に参加して課題本を読んだり、メンバーの方々の感想を聞いていると、本の古い新しいに関係なく、この本って今生きている世界のことが語られてると感じる瞬間がよくある。
今アメリカでは、最高裁の判断から州によっては中絶が出来ない状況になっている。時代によって突然、人間がこれまで持ち得た権利は覆されることが目の前に確かに起こってしまって、アニー・エルノーの書かずにはいられなかったことは、過去も今もこの先に対しても向けられているんだと実感した。

─ 文・松永 健資 ─