2020年2月

2020年2月1日
第165回課題図書:「流れる」幸田文

読み応えのある女流作家の作品を読んでみたい。
幸田露伴の娘として育った作家の作品、面白そう。
花柳界の話?知らない世界の裏側も、わくわくする~。
そして選書させていただいたのが 幸田文(あや) さんの「流れる」

ストーリーは、ざっくり言うと、戦後の花柳界を、「梨花」という名の主人公の「女中」の目線から描いた小説です。
1954年にデビューした作家の1955年の作品。(56年に映画にもなります。)
初期の作品ということになりますが、
この作品の面白さであり、最大のミステリーは、主人公の「梨花(りか)」。
女中でありながら、突然入り込んだ置屋で、次々に人の心をつかみ、うちに来ないかとヘッドハンティングもあれば、芸事の良し悪しもわかる。
ただの「しろうと」じゃないなと、ページを進めるも、最後まで!その正体はわからない!
これぞ、赤メガネの会でも、初めての経験!?
しかし、そのことに文句が出ないほど、物語の真ん中に立つ「梨花」の目線で、花柳界を楽しませてもらいました。

メンバーそれぞれの最初の感想は、真っ二つ!
「文豪見つけた!」というメンバーもいれば。独特の文体のリズムに苦労したメンバーも。
人物が多く混乱したメンバーもいれば、京の友人の置屋で見た景色を思い出すメンバーも。
着物や、当時の言葉、お金の価値など、時代背景を調べながら楽しんだメンバーもいれば、
昭和初期や花柳界には、興味がないことが分かったメンバーも。
「近年読んだ中で、一番良い本だった」というメンバーは、銀座8丁目で置屋を営んでいた自身の曽祖父の体験を重ね、花柳界の浮き沈みを読み取っているのも、印象的でした。

文章の中には、「くろうと」「しろうと」という言葉が何度も使われますが、互いが互いを、怖がっているのが、面白くもあり。
「くろうと」が「粋」で、「しろうと」が「野暮」かというと、素人っぽいものが、受ける世界も。(キャバクラと銀座のクラブにも通じるものが?)
流れるの中で描かれる「没落していく置屋」でも、「くろうと」ならでは、食べ物や着物、犬の葬儀など見栄を張る場面が描かれていましたが、
「粋」か「野暮」かは、感じ方次第。でも、気風のいい生き方に、読後感は上々。
「粋になりたい」「粋と呼ばれたい」と、つぶやくメンバーに大きく頷くのでした。

余談ですが、「流れる」の表紙の文字は、「緑色」をぜひ。
「青色の流れる」バージョンは、文字が小さく大変だったそうで。
お聞き流しないよう。。。

― 文・池田 めぐみ ―


2020年2月21日
第166回課題図書:「ずっとお城で暮らしてる」 シャーリイ・ジャクスン

怖い目にはなるべく遭いたくないものである。
例えば近所のとんかつ屋で、ご飯食べてる時に突然厨房から凄い形相の血まみれの豚が飛び出してきて欲しくはないし、お会計しようと思ったら店主のおばあちゃんがゾンビになってロースカツ片手に襲ってくるのも、絶対嫌だ。
そんなあり得ないことは抜きにしても、現在大流行している新型コロナウイルスだって得体が知れず怖いし、非通知の電話がかかってきてもちょっと怖い。何なら知らない番号からかかってきても怖がる。
でもフィクションだったら、進んで怖い思いをしたがることは良くある。映画でもドラマでも小説でも。
そこでは”怖さ”が観客・読者の好奇心をくすぐり、どんどん「面白い」「続きが気になる」という気持ちにさせてくれる。
あっと驚き、ハラハラする展開。ホラーにはそういう意味である種わかりやすくてどんどん読めていける読みやすさがある、だからこのジャンルで課題図書を選書すれば面白いしサクサクも読めるんじゃないか、こりゃひらめいた、と思った。

そういう訳で今回課題図書には、その”怖さ”をテーマにしてアメリカ人女性作家シャーリイ・ジャクスンの「ずっとお城で暮らしてる」を選んだ。

ところがである。ノリノリで読めない。わー怖い、どうなるんだろう、と前のめりにもなれない。参加者の方々からも、
「読みづらい」
「面白いかといえば、面白くない」
「ホラーと思って読んだら全然怖くない」
おかしい。ワイワイガヤガヤと感想を言い合うつもりが、読書会での光景がかなり目論見と違う展開で始まっている。

確かにホラー小説と思って読むと肩透かしを食らう内容かもしれない。
皆殺しにされた一家で唯一生き残った姉のコンスタンスと妹のメリキャットはその殺害現場となったお屋敷に、謎の書物を書き記している姉妹のジュリアン叔父さんと暮らしてる。近隣の村人たちには何故か憎まれている。姉妹はやけに毒草に詳しい。姉がお屋敷から外の村へ出ることにひどく怯える妹。そして突然の訪問者チャールズ、などなど。
お話の中に登場する要素はどれも不気味で魅力的。だけどそれらから生まれる謎が結局最後まで解けないのだ。すっきりしない。薄気味悪さが残る。大体の参加者は読みながら思った。
「いつになったら幽霊が出てくるんだろ」
「実はあいつが幽霊だって展開なのかな」
ホラーならば当然幽霊とか、あるいはアメリカの小説だからキリスト教的に悪魔とか、その類が出てくるだろう、そこから話はぐーんと盛り上がっていくんだろう、と。だがその期待も裏切り、ひたすら人間の悪意、怖さ、薄気味悪さが描かれている。
そうしてこの小説では、浮かび上がる謎は謎のままでそのまま終わっていくのである。もやっとしたままで謎が明かされないのだ。
だがここが肝である。作者の提示した謎は読者に委ねられており、その謎の裏側にどんな物語が秘められているか想像すると、急に怖くなってくるのだ。
なぜ一家は皆殺しにされたのか、そしてなぜ一家は村人に忌み嫌われているのか。
合点がいくように考えてゆけば、それまで純粋無垢に思えた姉妹の姿は一変する。そして幽霊より人間の方が怖いじゃんと思うのである。むしろ幽霊が出てきてくれた方がこっちとしては救われるくらいだ。
この本は読者によって恐怖の姿を変えてくる。本の帯に「全ての善人に読まれるべき、本の姿をした怪物」とあるが、読者次第で誰が善人で誰が悪人なのか、そもそも善人は居るのか、が変わってくる。その感想次第で読者のパーソナリティもまるで鏡のようにこの本に映されてしまうのじゃないだろうか。

読書会スタート時には何が怖いんだろうとハテナだったのに、終わる頃にはコワッ!と盛り上がった。
この本は可能ならぜひ誰かと読み合ってたくさん話し合ってみることでゾクゾクしてもらいたい。
そしてそういった集まりが気軽に持てるように早く新型コロナウイルスも終息してもらいたいものである。

― 文・松永 健資 ―