2021年9月

2021年9月5日
第190回課題図書:「美しい夏」チェーザレ・パヴェーゼ著 河島英昭訳

今年の夏もコロナ禍で、私にとって風物詩でもある野外でのロックフェスティバルに参戦することも出来ず。
せめて読書で「夏らしさ」を体感したいという思いから課題図書に選んだのがこの1冊でした。

1949年に刊行された後すぐに評判となり、翌年にはイタリアの最高の文学賞 ストレーガ賞を受賞した作品なんだとか。

舞台は、1940年頃 北イタリアにあるトリーノ市。兄と共にアパートで暮らしながら洋裁店で働いている16歳のジーニアと、画家の描く絵のモデルで生計を立てている19歳のアメーリア。そんな二人の女性の青春を描いた物語です。

掲げられた「青春」という言葉と、最初のページの冒頭にある「あのころはいつもお祭りだった。」という書き出しに胸を躍らせ読みはじめたものの、行き着く先、いや途中の展開も、自分が想像していたものとは全く違うところへ誘われることに。

この読書会に参加した赤メガネのメンバーからの感想は、
・数人からは「太陽が燦々と照っていない。」という意見が。(→タイトルに「夏」が入って舞台がイタリアなら、そのあたりは期待してしまうでしょ?)
・「ひと夏の青い経験だと思ってた。」(→主人公たちが若い+「夏」ならば!そう予想しちゃいたくなる。)
・「丁寧に読んだけれど、真ん中あたりまでよく理解できなかった。」とか「最後まで、わからなかった。」という人も。(→様々な本を読みこなしてきたメンバーにも理解できないものもあるんです。)
・「解説を読んでこの物語の読みどころがわかった。」(→単行本にはなく文庫本には付いている解説やあとがきに助けられること多々あり。)
と私だけではなく、メンバーにとっても難読本だったようです。

でもでも、ここからが「読書会」の真骨頂!!
この物語から何を見て取るか。メンバーと色々と意見を交わす中で、一番気になったのが、この本のタイトルの一部にもなっている「夏」は何を指しているのか?ということ。それは、大人の階段のゴール地点であり、若いジーニアはそこを目指し、アメーリアはすでにそこに到達しているという見解になりました。
また、主人公たちの置かれた立場や住まい、極寒の辛さを読んでる者にも感じさせる暗めの描写は、ファシズム体制下の雰囲気を伝えるものでもあったのではないかという意見も。
その他この作品が、「レズビアン小説」と評されることについては、ほとんどのメンバーが異を唱えておりました。
そうそう!不思議に感じた点がひとつ。この物語には必要不可欠な人物 グイードとロドリゲスという男性二人が登場します。ですが、あらすじに「男女四人の物語」としなかったのはどうしてなんでしょ?
もしかしたらこの作品を書いたパヴェーゼは、若い女性達が持つ繊細さや感性、潔癖さを特筆したかったからなのではないかと。ひとり勝手に推察しています。

自分だけの読み方では、到底深いところまで読み取ることかできなかったこの作品。過ぎ去りし夏を感じながら、脳にも汗をかかせてくれるいい課題図書でありました。

─ 文・山川 牧 ─


2021年9月25日
第191回課題図書:「自分の中に毒を持て」岡本太郎

1年ぶりの選書担当になりました。選書した頃は、東京はまだ緊急事態宣言下。物理的にいろんな楽しみが取り戻せない上に、何かあれば炎上やら誹謗中傷やら同調圧力やら…

この先の見えない閉塞感を破ってくれるような心に刺さる言葉を、カッコいい生き方をした先人の言葉からもらえないだろうか? という想いをこめて選んだ1冊が、岡本太郎のエッセイ「自分の中に毒を持て」です。

岡本太郎と言えば、20世紀を代表するアーティスト・芸術家。大阪万博のために制作された太陽の塔や、渋谷駅の巨大壁画「明日の神話」を思い浮かべる人も多いと思います。CMでも有名になった「芸術は爆発だ!」というフレーズからは、エキセントリックなイメージも抱いてしまいますが、この本も「自分の中に毒を持て」というタイトルからして挑発的!各章のサブタイトルにも「迷ったら、危険な道に賭けるんだ」「他人と同じに生きてると自己嫌悪に陥るだけ」などの刺激的な言葉が並びます。太郎自身の半生を交えながら、様々なメッセージが綴られているのですが、まずはメンバーの感想や印象に残った言葉を挙げてみましょう。

普通の感覚を超えている異能の人。バックグラウンドに恵まれて芸術に突き進んできたというイメージを持っていたが、沢山の本を読んでいる“知の人”だと思った。異国で多様な人々と積極的に関わることで、触発されいろんなものを生み出したのは尊敬する点。「爆発」は「自分を大事に、自分と対峙せよ」という強烈なメッセージだと感じた。

「爆発=自分自身を宇宙に向かって無条件に開くこと」で、太陽の塔が意味するものがやっとわかった。「二者選択で迷ったら厳しい道を選ぶ」→自分もそんな生き方をしてきたので共感するし、あれが自分の‟毒気“だったのかなと思う。

エッセイは得意じゃないが途中からノッてきた。彼の主張のコアは“自分”。逆に言えば他人に興味がない?

普通とちょっと違う、なかなか普通はできないことをやってきた人。だからこその岡本太郎節(ぶし)。太陽の塔を見に行ったことがあるが、裏側の顔が印象的で「恐いものを作りたい」を体現したのだと思う。(※本書の中に「芸術はきれいであってはいけない」という言葉が出てきます。)

響いた言葉は「いずれ、と言わないこと」。自分も先送りせず“今”に集中したい。「お前次第だぞ!」と言われているみたいでした。

この時代から環境のことを憂いている。知識のある人でないと予見できない。10年ぶりの再読だったが、改めて「太郎いいじゃん!」と思った。

・TVでいじられていたイメージがあって、“芸術は爆発だ”はギャグだと思っていた(笑)この本を読まなければ、そのイメージを正せなかった。(※太郎曰く、「‟爆発“は随分以前からの私の信念であり、貫いてきた生き方だ」そうですよ)。「芸術=生き方や人間性」というメッセージから、近代国家になる過程で失われていく人間らしさなど、さりげなく日本人論を語っている本。

と、岡本太郎をリアルタイムで知っている人も、知らない人も、それぞれに心に刺さる言葉があったようです。

その一方で、女性メンバーからブーイングが続出したのは‟愛”について書かれた第三章。

「結婚は恋愛の墓場」というフレーズに、「墓場?オイオイと思った。昭和なオジサン?」「面白かったけれど、“恋愛”に関する部分は意味不明!」といった声が上がったほか、全体を通して「テーマ・構成はいいけど、時代が違うと感じた」という厳しい意見もありました。

ちなみに、自分の両親(岡本一平・かの子)の夫婦生活を見てきて‟結婚“に嫌気していたと言われている岡本太郎ですが、秘書だった敏子さんを“養女”という形で籍に入れ、生涯のパートナーとしています。また、男女が深い関係になることを「とけあう」と表現するあたり、実は結構ロマンチストだったのではないかと勝手に想像してみたりするのですが──。

また、この本が最初に出版されたのは1993年。経済的には豊かなのに何をしていいかわからない“しらけ世代”“新人類”と呼ばれた世代が社会人になった頃。そんな若者に向けたメッセージだったのかなと思うと、今の時代に合わない、昭和のオジサン的、と受け止める人がいるのもうなずけます。

しかし、先見の明というべきか、コロナ禍を経験した“今だからこそ”改めて考えさせられる、こんな言葉が私の心には残りました。

<政治、経済、芸術の三権分立>

「芸術を人間と言い換えてもよい。無条件で生きる人間、最も純粋に燃焼(※太郎のいう“爆発)する人間、つまり芸術家が政治・経済と相対し、抵抗する権威、知からを取り戻すべきだ。」

これに関して、メンバーからも

・もっと人間的な本来の魅力を持つべきだと言っていると思う。コロナ禍ではエンタメなどが人の心を動かした。政治よりそういうことで世の中が変わるようであってほしい。

・今は経済優先。一部の人間に富が集中し、そのために政治が動いているけれど人々の心を支えるのは芸術。

・コロナで文化芸術に関わる施設や人々も打撃を受けている。1人1人が生きてることが文化芸術活動になる。

・文化芸術は心を豊かにする。社会的プロパガンダに利用してほしくない。良い方に使われれば良い世の中になるはず!

といった声が上がりました。

今は新規感染者数もかなり減って、これから経済の立て直し策が次々と出てくることでしょう。政治は次の選挙でどう変わるのでしょう?

そんな中で、「芸術=人間の復権が緊急の課題である。」という太郎のメッセージは、自分たちの生き方、人生のあり方も含め、アフターコロナの1つの指針となるのかも知れません。

─ 文・nobu ─