2021年1月

2021年1月9日
第178回課題図書:「羆嵐」吉村昭

「ねえ、クリストファー・ロービン。はーちみーつ食ーべたーいな。」
「プー、僕たちはずっと友達だよ。」
…なんてホンワカした可愛いヤツじゃありません。クマはクマでもヒグマです。漢字で書くと羆です。ゴッツイ奴です。
 そう2021年劈頭を飾る課題図書は、吉村昭の『羆嵐』となりました。令奈さんの選書理由は「一人で読みたくないから」「両手で目を覆って隙間からちょっと覗くように読みたい」って。なるほど、装丁がまず怖ろしい。こんな凶悪な面相をした生物に遭遇したら、宏くんじゃなくても良くて失禁、おおかた失神してしまうでしょうな。あろうことか、この圧の強い表紙にいつか読むことを予感したという僚子ちゃんは、結果、読まなきゃよかったと振り返ってましたが、読書会で「読んで良かった」「読まなきゃ良かった」の二択インタビューしたのなんか、初めてのことではないでしょうか。

 さてさて多士済々の赤メガネには、なんと熊小説のオーソリティが一人いるんです。そのけんけんも、いつかは読まなきゃならん!と思っていたそうですが、ドキュメンタリーゆえに、エンターテイメント性を削ぎ落とした本作を、外連味がないと評して、私も然りと思いました。ただ終盤では、ヒグマを仕留めた後に表題となっている羆嵐が吹き、「ここで来たかー」と心が踊ったそうです。
 しかし、今回の赤メガネ、言うてもイマイチ盛り上がりません。でも決してこの作品が面白くない訳じゃないんです。めぐみちゃんにいたってはメチャクチャ面白くて一気読みしたそうですし、靖子さんもプロの羆撃ちに目線を移してからは夢中になって読んだといいます。ただ本作について話すとなると、なんとなく口が重くなるというか、沈鬱とまではいかなくとも物憂い感じでしょうか。それはみんなが一様に感じた怖しい描写が続くというだけでなく、やはり題材が実際に起きた事件で、6名もの人が命を失っていることが影を落としているんでしょう。
 そうそう事実は小説より奇なり、といいますよね。剥き出しの本能や圧倒的な暴力と向き合う事になる本作は、事実と言っても人が死んだ事件であるとか、未開の地に移住せざるを得ない社会的背景とか、こういった現象に留まるものではありません。言ってみれば遺伝子に刻み込まれているヒトが生きてきた重層的な事実なんだと思います。それが「食われる」という原始の恐怖を呼び覚ますのではないかと。

 一方で、さして驚くには当たらないのかも知れませんが、「羆も人もどちらかが悪い訳ではないのだけど…」とゆめちゃん、「羆にも生きる権利があるよね」と知子さん、「人と自然は折り合って生きなきゃいけない」と牧ちゃん。自然を、地球を共有する者として、人喰い羆の生存に対する本能にも理解が示されました。我々は被害者の身内ではないという事もあって、羆は恐怖の源泉であったとしても、憎悪を向ける対象ではありません。羆に対する一定の理解は、自然からの距離が遠くなってきている人間社会に対する、ナウシカ的不安みたいなものから湧き上がったのかも知れないですね。
 さらにその文脈上で、自然界の原理ともいえる食物連鎖を強く意識させられたメンバーも多かったと思います。『人を喰った羆を鍋にして、それをまた人間が食べる事で供養とする』ここに象徴されていたと注目したのは五朗さん。ヒトを食物連鎖の頂点に上げたのはテクノロジー。それを持ち得なかったこの村の悲哀も感じていたようです。
 しかしテクノロジーもエンジニアリングも一切ご無用!熊(bear)とベア(bare)ファイトする事態を想定していた驚くべき強者もいます。赤メガネきってのアイヌ好きのはせまりは、熊と対峙したらどうするかをシミュレーションしていたそうですが、あくまで対ツキノワグマであって、ヒグマには効かなそうだ、と対策を練り直す構え。今後は、まり姐さんと呼ばせていただきます。。。

 小説としての本作は、アンチヒーローである銀オヤジこと羆撃ちの銀四郎を置いては語れません。そして彼の人格形成において影響を及ぼしたであろう、北海道手塩地方の自然や、入植・開拓という歴史的な社会環境もこの物語の底流を為しています。
 『入植者が世代を経て、死者を埋葬して、初めてその土地と繋がりを持つ』序盤で比較的長く書かれたこのくだりに、入植者と厳しい自然の関係に思いを馳せたのぶさん。とにかく寒さを感じながら読んだ、というあずみちゃん。年間平均気温で10度も低い(東京-旭川比)蝦夷地で生き抜く事は、羆がいなくても容易ではない事を、冷え性の私も強く感じながら読み通しました。

 最後に、映画好きなメンバーも多い赤メガネ。五朗さんから「この小説は映画にしたら良いんじゃない?」と、割と良く起きる議論が投げかけられましたが、今回はあまり膨らみませんでした。私もなんだかスプラッターな感じがして、映画はどうかな?と思いました。

 今回、令奈さんからいただいた感想の中で、映画について吟味されていたのですが、これがポンと膝を打つものでしたのでまんま紹介します。令奈さんが参加してたら、これで盛り上がったんじゃないかなー、と思わせる考察です。

 設定としては、『ジョーズ』と『老人と海』を足して2で割ったような作品に思えた。特筆すべきは、怖がらせる気満々ではない、抑制の効いた文体がことさらに、恐怖心を煽るその匙加減の絶妙さ。事件の起きた立地・歴史的背景など、ドキュメンタリーとして読者が知るべき知識がしっかり押さえられていて、心理描写も最低限。なのに、人間の思惑とは別の掟で動く羆の存在がじわじわと読み手に迫ってくる。吉村昭さん、手練の技。

 話は少し飛躍するけれど、スピルバーグ監督に映像化してもらいたい、と思った。逃ども逃げどもあとを追ってくるトレーラートラックの運転手の不可解な行動を、運転手の手しか映さない、という映画『激突!』の手法で映像化したら一流のホラーになったかも。

 文体については、知子さんも短文でリズムが良いと、また僚子ちゃんも演出されない描写に却って怖ろしさを煽られたと、落ち着いた筆致がおしなべて好評価でしたね。そのおかげで、今回の議論も静かに進んだのかも知れませんね。
 さぁ、みなさん、熊と出会ったらどう闘うか!?次回までにちゃんと考えておきましょう。

─ 文・竹本 茂貴 ─