2017年3月

2017年3月10日
課題図書:「服従」ミシェル・ウェルベック
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 イギリスのEU離脱、トランプ米大統領誕生、国境を越えて成された要人暗殺、日本を狙った弾道ミサイル発射――。「まさか」続きの世界情勢です。こうした〝最悪の想定外〟の事態に向き合う知恵を文学から学べないか、と思う矢先、3月に読むべき海外文学の選書を、という指令が。かくして「まさか」をテーマにした候補作の中から、メンバーの投票によって選ばれたのが本書、ミシェル・ウェルベックの『服従』(大塚桃訳、河出書房新社)です。

 舞台は2022年のパリ。「フランス初のイスラーム政権」が誕生します。これを発端に、ソルボンヌ大学で教鞭をとる文学研究者フランソワの日常が変容します。市内での銃撃戦、身近な人々の国外逃亡。肌を露出して町を闊歩する女性の姿が町から消え、家族制度や教育システムも改革されます。フランソワは職を失い、元職場は「パリ=ソルボンヌ・イスラーム大学」に。恋人に去られ、肉親を亡くし、社会的地位を喪失したフランソワに突き付けられた1つの選択肢。それは、イスラーム教への「改宗」でした――。
 この作品がフランス本国で発表されたのは2015年1月7日。同じ日、奇しくも大事件が起き、世界が震撼としました。フランスの風刺週刊誌『シャルリー・エブド』編集部が、テロ攻撃を受けたのです。警官や編集者、風刺画家らが多数犠牲になったこの襲撃事件の背景にあったのは、同誌がたびたび掲載した、イスラーム教預言者ムハンマドを冒涜する風刺画でした。この事件とシンクロしたかのような本書、そして作者に世界の注目が一気に集まりました(しかも、事件当日の『シャルリー・エブド』誌の表紙は、イスラーム教について言及するウェルベック氏を描いた風刺画でした)。日本語版は2 015年9月、英語版に先駆けて異例の速さで公刊されています。

 難解な本でした。実在人物や固有名詞がふんだんに織り込まれています。主人公が教養人、という設定も手伝い、フランス文化やフランスの今、に明るくなければ真意が掴めないくだりが多々。それにもめげず、読了したメンバーが感じ取ったのは、日常が浸食されていく怖さ、でした。SF好きのメンバーはこの小説を、近未来を描いた異色のSF、と捉えました。物語はフランソワの一人称で語られますが、今までの社会通念がことごとく否定され、すさまじい価値観の転換が起きても淡々とした語り口は崩れません。異文化や脅威が地続きで忍び寄り、日々の「当たり前」がじわじわと塗り替えられる、チリチリとした恐怖。島国に住む私たちには想像しにくい、ヨーロッパ世界に顕在するこの危機感を煽る手法は絶妙、と評価する声が多数聞かれました。
 40代のフランソワについては、女性メンバーが「気持ちが悪い」、「主体性がない」、と口々に大ブーイング。女性遍歴を重ねる男性が主人公である場合、男性メンバーから擁護の弁が通常あるのですが、今回は誰も助け船を出せなかった模様です。この本の最後に、フランソワは「ぼくは何も後悔しないだろう」という言葉を残します。これに対し、自分を支える価値体系や宗教観、それを育んでくれた家族、愛する人、社会的地位を失った果てに、フランソワは「人としてごく当たり前にすべき選択をした」、という見方がありました。このアイデンティティ崩壊を描くために、受け身でものごとを受け入れ、『服従』する人物を作者は主人公にした、という読み取り方もできそうです。
 いわゆる〝インテリ〟であるフランソワの思考、交友関係、政変を追う助けとして、文中に適宜、訳注が入ります。この訳注の中で「食べ物」に注目したユニークな分析も出ました。主人公をグローバル社会の典型、あるいは無国籍なキャラクターとして描くにあたり、インドや中東、地中海の家庭料理、日本の〝スシ〟をケータリングで取り寄せ、日常で食する場面は欠かせないディテールだったのかもしれません。

 ところで、このように思い切った世界観が構築された、衒学的ですらある作品を短期間で訳された「大塚桃」氏、どのようなバックグラウンドをお持ちだろう? と気になりました。奥付を見ると〝訳書多数〟とあるのですが、検索しても本書以外の作品がヒットしません。そのときふと、著者のウェルベックも本作品発表後、出版プロモーション活動をキャンセルし、姿をくらました経緯や、1988年に発表されたサルマン・ラシュディによる『悪魔の詩』を巡り世界の出版界が戦々恐々とした一連の事件が古い記憶から蘇りました。なるほど。。。

 小説に向き合う。その姿勢を「そんな絵空事に逃避して」と笑うべきではないのでしょう。昨日までの「まさか」が、今日は現実になる。その集積を人は、「歴史」と呼びます。おりしも、まさしく大統領選を来月に控えたフランスで、あらたな「まさか」から、歴史が生まれるかもしれません。そして、〝絵空事〟が「まさか」のトリッガーになることもある。そんなことを思い知った今回の読書会でした。


2017年3月31日
課題図書:「蜂蜜と遠雷」恩田陸
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普段、赤メガネの課題図書になるのは、読み継がれてきたクラシックな名作がほとんど。そんな古き良き作品を読むのも大切ですが、いまの日本文学も知っておくべき!ということで、今回課題図書として選ばれたのは、第156回の直木賞受賞作品です。
今月発表になる“本屋大賞”にもノミネートされているので、気になっている人も多いのでは?

新たな才能を発掘する場として、世界的にも注目を集めている芳ヶ江国際ピアノコンクールの始まりから終わりまで。が描かれているのですが、上下2段に分かれての全507ページ。その長さに臆することなく、参加メンバー全員が読了。その世界観に引き込まれました。

まず驚かされたのは、音楽に明るくなくても、この小説の中に出てくる演奏曲を知らなくても、その曲がどのように演奏されたのかを、読む人が追体験できる恩田さんの筆致です。弾く人によって、こんなに違いがあるの?!と、例える事が難しい音の“感覚”を、言葉にしているその語彙力に、みんな感服。“音の粒”という言葉に、惹かれたというメンバーもおりました。

音楽だけでなく、コンテスタントの人間関係や内面なども、丁寧に描かれているので、それらが彼らの奏でる音に反映されているというのも、読みどころではないかと。
ちなみに、「どの登場人物が好きか?」という問いに、みんなの答えは見事なほどにバラバラ。それだけ、出てくるコンテスタントは、個性豊かなんです。

その他、「読みやすく、クライマックスがストーリーの中に何度もあり、まさしくエンターテイメント小説!」
「悪意のある人が、だれも出てこない。」
「疲れている人に薦めたい。」などの意見がある一方で、
「少女マンガっぽい。」
「ボリュームがありすぎたかも。」
「ピアノを持っていない蜂蜜王子の塵(じん)くんが、あれだけ弾けるのはどうなんだろう?」という意見もありまして。

万人が評価することでも知られる直木賞に対して、後ろ向きな意見が出た事は、“読書会”の中では大切なこと。この作品に感動し、目に涙を浮かべて紹介していたMちゃん、お許しを。