2024年2月

第229回
2024年2月1日
課題図書「君たちはどう生きるか」吉野源三郎

2017年の漫画版が話題となり、2023年にタイトルだけ同名のジブリ映画が公開された本作。作品名だけはよく知っているものの、原作は未読だった為、課題図書として選書。 
本作が書かれた昭和10年頃を舞台にコペル君15歳が学校や友人との出来事について、そのとき感じた気持ちや発見を叔父さんに相談しながら成長していくというお話。特徴的なのはコペル君の相談に対して、叔父さんが作中で「おじさんNote」という書面で回答していて、コレによって叔父さん(あるいは著者)が伝えたいことが非常にわかりやすく書かれている。友人関係や自分自身の行動に対する葛藤など、書かれているエピソードや叔父さんのアドバイスは、時代は違えど今読んでも共感できる点がとても多かった。

本作は当時の子供達に向けた児童書なので、伝えたいことがわかりやすく直接的に書かれていると理解しつつも、現代の大人として読むと全体としてやや説教臭くもあり、久しぶりに読んだ道徳の教科書のようでもある。コペル君の話だけで十分にメッセージは読み取れるところを「おじさんNote」で感情の機微までいちいち説明してくれるので「叔父さん、ちょっとくどいですよ」と言いたくなるところもあった。 
叔父さんの存在については、赤メガネメンバーからも「子供の頃にこの叔父さんのような大人が身の回りにいればよかった」「この時代の理想の大人像(逆にこんな大人がいない時代だった)」等、いろんな捉え方があがった。また本作の導き手役を何故、父親や先生ではなく”叔父さん”としたのか? 叔父さんがコペルくんに問いかける「ある大きなものを、日々生み出しているのだ。それは一体なんだろう(141P)」の”ある大きなもの”とは何を示しているのか? 全編を通してこの箇所だけがはっきりと書かれていない点、等が議論になった。 
叔父さんをそのまま著者と捉えると、この作品を通じて著者が子供たちに伝えようとしたこと、そして何よりその熱量が理解できる気がする。戦争が始まりつつある厳しい時代の中で書かれ、そして戦後にちゃんとそれが広く出版されたこと。その後、漫画に表現を変えたり映画に影響を与えたりしながら、現在の読者にもまだ響き続けていること。これらを考えると、多少「叔父さん、ちょっとくどいですよ」と言いたくなったとしてもやはり一読の価値のある、素晴らしい作品だと感じた。

ー文・中村 健太郎ー


第230回
2024年2月22日
課題図書「影をなくした男」A. von シャミッソー著 池内紀 訳

高校の同級生による名言を、折に触れて思い出す。

「失ってはじめて家族の大切さがわかった」

名言というと微妙に陳腐さをまとってしまうのだけど、これは彼の心からの言葉であって、
なんか良い事を言ってやろう、みたいな衒った発言ではない。
詳細は憚るけれども、当時彼が一家離散に近い状態になってのものだった。
実にクールな男で、哀れみを乞うだとか、自嘲めいた感情だとか、
そういったものでなく、淡々とした感想であった。

あって当たり前、というよりも存在すること自体を意識しないもの、
なくなってみてはじめてその重みがわかるもの。
シャミッソーの「影をなくした男」はそれを失って蹉跌を味わうメルヘンである。
おそらく実際影をなくすことはないし、間違えても影そのもの重要性を訴えるものではない。
では、影はなんのメタファーなんだろうか?
もちろん受け止め方は自由だ。多くの物語は読み手の人生観を通じて解釈することになるし、
特にこの類の寓話を咀嚼するときは、自分が大切にしているものや、
恐れているものが大きく影響するんだと思う。
今回は悪魔だけど、神様とか人ならぬものにペナルティを受ける話は結構あって、
一番近い感じの「ファウスト」や、触った物が金になるミダス王の寓話、などは
強欲を戒める側面が強いと思う。最初にそれが思い浮かぶのは、僕自身が強欲を嫌っているのか、
あるいは僕自身が強欲でその誹りを恐れているのか。。。
(願わくば前者であってほしい)

自分のことを深掘りすると地雷踏みそうなので、ここでみんなの感想を発言順に挙げてみる。
・終始「なんだこれ?」という思いで読んだ
・読んでよかった
・影を失くしっぱなしで意外(最後は取り戻して大団円かと思った、ってことね)
・人生はやり直しがきかなないこともある
・仏教っぽい(文脈忘れちゃった)
・従者が主人公を裏切らないところに好感
・主人公が悩み続けるところに好感
・「千と千尋・・」で千尋が名前を奪われることと似てる
など、あたりまえだけどやはり千差万別という感じ。

最後に影がなんのメタファーかという一つの説を紹介して、とりとめのないこの文を終えたい。
シャミッソーはフランスの貴族の家に生を受けたが、フランス革命により爵位を剥奪され、
幾多の国を経由してドイツに移り住むことになる。
ドイツから見ればフランス人、フランスから見ればドイツ人という状態で、
彼には祖国というものがなかった。ゆえにあって当たり前の祖国を失った人生を反映している、
というのが有力な説の一つのようだ。
まぁ正直なんだって構わない。物語は読んだ人の心に新しい彩りをもたらして、
その後の人生を歩む上でなんらかのみちしるべとなっていくものなんだろう。

ー 文・竹本 茂貴 ー