番外編:第6回合宿 in 沼津

2018年10月27日~28日
課題図書:「和解」志賀直哉
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 気のおけない仲間と夜を共に過ごすのは、少なからず心惹かれるコトだと思う。ことさら合宿なんていった日にゃぁ、部活に励んだ学生時代が呼び覚まされて、ほろ苦かったり、甘酸っぱかったり、はたまた炎天下に走らされた記憶で吐きそうになったりするよね。って、そりゃないか・・。
さておき”体育会系読書会”をもって自認する赤メガネの会の合宿も今回で6回を数える。合宿地に選ばれたのは、静岡県は沼津市の泊まれる公園「INN THE PARK」。ただただ素晴らしいロケーションで、読書はもとより議論も会話も、ついでに酒だって進んじゃうに違いない。簡単に紹介すると、駿河湾を臨む丘陵地帯、日当たりのよい斜面に森と原っぱと、そしてスペースを贅沢に使ったコテージと、宙に浮かぶ幻想的な球体。・・・ご、ごめん、表現力が追いつかないので、続きはwebで。https://www.innthepark.jp/
 そんな合宿所に着く前に、「うめぞう」というカレー屋さんで昼食をとる。とても美味しかったので、是非また行きたいとこだ。メモメモ https://retty.me/area/PRE22/ARE77/SUB32502/100000878413/
さーて腹拵えも済ませて、いよいよ合宿地に足を踏み入れる。チェックインまでは原っぱでの野外読書だ。危ぶまれた天気もすっかり好天になって、柔らかな秋の日差しが降り注ぐ。葉擦れの音、鳥の声につつまれて読書に耽れば、あっという間に時間が過ぎる。だがしかし読書だけでなく、昼寝にも絶好のコンディション。ここはひとつ身体を動かすべし。読書会の合宿であるはずなのに、なぜか数多のレクレーショングッズが持ち込まれていて、バレーボール、バドミントン、フリスビーと、久しぶりにやると、これがいちいち楽しいんだ。あー2、3泊してぇ!と詮無き思いをいただきつつ、この後のメインイベント課題図書の読書会に続くことになる。・・なんだけど、その模様は後に回して、もうしばらく時間を進めたい。
 海に沈む夕日をみんなで味わった後は、しばらく本を読んで、そして夜の帳とともに夕食の時間が訪れる。これまた屋外のテーブルを囲んでのバーベキューだ。味を表現する語彙に乏しいので、ここでも単に美味かったとしかいいようがない。高そうな肉を数種類のソースを楽しんでパンはおかわりし放題、多分みんなの体重が増えた筈だ。
 腹ごなしにしたゲームは熟語トランプとUNO。いやあれはゲームじゃないな、まるでコンペティションだった。とっぷりと夜が更けるまで勝負に励むことになった。翌日に睡眠不足の禍根を残すことになったけど、メンバーの勝負勘といった意外な一面なども見られて、やっぱりこれも合宿の醍醐味だね。布団だったら枕投げやってたんだろうな。

 翌日は、朝食後にまたまた本を読み、読み進めたところまでの感想を紹介しあった後、チェックアウトから一路沼津港へ。深海魚ミュージアムでシーラカンスの剥製を見るのとランチを食べるのが目的だ。しかしここは、この後に5人のメンバーが行った若山牧水記念館について、牧水を愛してやまないTさんから語ってもらうことにしよう。 —- 帰りの運転を考え仮眠をとることにしたYともう一人のTを駐車場に残し若山牧水記念館へ。
 合宿地が沼津に決まってから調べた、牧水に関する浅はかな知識を少しうるさめに(いや、大分うるさく)語る私、啄木と牧水を終始言い間違えるS(彼らは親友だったから、そこはご愛嬌)。シャッターチャンスを常に伺う赤メガネのカメラマンH、ポケモンGOのイベントに夢中で心ここに在らずのO。そしてフリスビーでの大活躍で少しお疲れ気味、永遠の少年Mの5人で午後の心地よい海風を受けながら歩いて15分。途中アビーロードでの記念撮影よろしく、私たちが歩むべき道と同じ名の「文学の道」の標識との記念撮影を挟み目的地に到着。
 恋、旅、そして酒に生きた牧水、それを陰ながら支えた糟糠の妻喜志子の二人の生涯を中心に、自作の揮毫、彼が愛した千本松原の伐採に反対する嘆願書などが並ぶ展示室。そこへ足を踏み入れると、途端に真剣な眼差しで見つめる4人の後ろ姿に感激し、頬に伝う涙を拭わず?にそれを見つめる私。そして女性陣が喜志子の生き様に感嘆の声をあげていたのにも何故か喜びがこみ上げる。
 43年と短い生涯のなか、約8,000首もの歌を歌った牧水。 代表作 「幾山河 こえさりゆかば 寂しさの はてなむ国ぞ けふも旅ゆく」 の自筆の掛け軸を前に読書の旅を歩み続ける赤メガネの会のメンバー、それぞれの「寂しさのはてなむ国」が見つかることを祈り、記念館をあとにしました。

 そうそう、忘れちゃいけない、これは読書会の合宿。課題図書である志賀直哉の「和解」の討論をレポートしないとね。私小説というものなんだろう。これには志賀と父親との齟齬、軋轢、そして和解までの経緯が綴られている。思いっきり端折って言うなら、仲が悪かった父と息子が仲直りする、ただそれだけの話だ。でも家族という普遍的なテーマである本作は、ただそれだけにとどまらず、程度の差こそあれ全員が自身の家族を想い、対比しながら、志賀の痛痒やカタルシスを理解しようとしていたんだと思う。というのも、今回の討議では、小説よりも自分たちの経験や家族観について、多くが語られていたからだ。メンバーの一人(永遠の少年M)が指摘していたように、この小説の時代背景として、家父長制度が色濃く残っていた。志賀の父親は昔のいかめしい家長。大方は彼に対する批判的な文脈で自分の父親を思い起こして、各自の理想や現実がないまぜになった父親像や家族像が浮かび上がっていた。
 また他のメンバー(ドライバーY)は「つながり」に焦点をあててこう言う。志賀と父親の相克は血が繋がっているがゆえだと。つまり血の繋がりが、より真剣に互いを向き合わせ、時には確執も生まれるということだ。なるほど、絆と言ったりすることも多いけど、ともかく家族は繋がっている。そしてそれは意識されないけど、血の繋がりがあってこそなのかも知れない。もちろんそれがなくても良い家族はたくさんいると思うけど、損なわれた絆の再生には、より強く必要とされるんだろうな。

 最後に話が飛んじゃうようだけど、かつてドイツの社会学者が、人間の集団を「ゲマインシャフト」と「ゲゼルシャフト」に分類定義した。後者は一般にも「会社」という意味で使用されていて、ドイツ企業の名前につくAGのGがそれだ。一方ゲマインシャフトは血縁や地縁を基盤にした結びつきの社会で、よりプリミティブな集団として位置付けられている。当然家族もこっちに含まれるし、血の繋がらない家族や、仲の良い友達なんていうのも含むのかな?  そうこうしている内に、いつの間にか自分が家族も赤メガネも同じように大切に扱っていることに気づいた。この会にいられるというのはとてもありがたいことなんだという、ほろ苦くも甘酸っぱい感想をもって筆を置かせて貰うことにしようっと。