2021年12月

2021年12月20日
第195回課題図書:「村のエトランジェ」小沼丹

その山の上の家を訪れるのは二度目だった。年に二度開く庄野潤三の家。コロナ禍の直前、友人を案内しての再訪で、仕事場を兼ねたような応接間や庭の木々は、冬の陽だまりの中で、夏よりも一層輝いて見えた。一番奥は二人の息子さんが巣立った後に書斎となり、井伏鱒二や小島信夫など近しい人々の作品が並んでいて、その中でひと際数多かったのが「小沼丹」の著書だった。手に取ると何とも言えない味わいを感じて、それが「小沼丹」という作家を意識した最初だったと思う。

小沼丹は大正8(1918)年、東京下谷に生まれた。青春時代はキーツやボードレールの詩に憧れる文学青年で、早稲田大学在学中に井伏鱒二と出会い、小説を志す。

今回の課題図書『村のエトランジェ』は、昭和22年から29年にかけて文芸雑誌に発表した草創期の短編7編を収録している。「エトランジェ」とは「よそ者」という意味のフランス語で、ここでは「都会からの疎開者」を表している。大雨で増水した川を見物に来た三人のエトランジェ、その中の一人の詩人の肩に背後から伸びる女の白い手で幕が上がる表題作の他、夜な夜な愛書狂の胸を短剣が貫く「バルセロナの書盗」、あの人はもう二度と戻らない、と屋根裏部屋にかける梯子を持ちだして画家が首を吊る「紅い花」など、死がミステリアスに絡みつきながら、ユーモアとペーソスを交え、時にはノスタルジックに語る洒脱な文章に、メンバーからは、

「こんな風に書きたいと思っていた“静謐”な文章」「漢字の表記が勉強になった」「おしゃれな感じで物語も面白い」「日常を淡々と語っているだけなのに読ませる文章」等々、皆さん“初小沼丹”ながら好評が相次いだ。中には、「表面は何でもなくても、裏でたいへんなことが起きているチエーホフ的なところは今の若者のトレンドで、読んだらみんな好きになると思う」など、もし小沼氏が聞いたら、「ジューン子、出かけるぞ」といって飲みにつれまわすような感想もあった。

また、メンバーからも指摘があったが、今回の課題図書でもうひとつ印象に残ったことがある。それは作品の中に戦時下や戦争直後の人々や風景が描かれていることだ。「今日辺り(空襲が)危ないですよ」と床屋の行き帰りに挨拶を交わすような日常、まるでブルーインパルスでも見上げるように頭上の敵機に一瞬恍惚となる「白い機影」。撃墜され赤や白や黄色へと燃え落ちる軍機を、その中で命が失われてゆくにも拘らず、美しいと眺める乾いた心情。

戦争中にも普通の暮らしがあったというけれど、それは「本当のことは何も知らされず、ただすぐそばにいつも“死の神”がいる」ような非情な毎日だったのではないか。戦争が終わって今度は「前へ進め」と急かされる。忘れなければ前へ進めないが、戦争さえなければ理不尽に失われることのなかった命、二度と会えなくなった大切な人への想い、あの時何がどう見え、どう感じたのか、その人たちのために忘れてはならない風景がある。小沼氏自身は出征しなかったが、小説の道を模索する中で、そうした思いを作品の中に書き込んでいるように思った。

「静謐」という言葉には、「静かで穏やか」な他に、「おごそか」という意味も含まれる。メンバーの感想を聞きながら、ふと「鎮魂」という二文字が心に浮かんだ。

小沼丹はその後、昭和38(1963)年に前妻が急逝、翌年に母を亡くし、「頭でつくりあげる小説に興味を失い、身辺に材をとった作品に気持ちが動くように」なって、随筆へと三度転向する。早稲田大学英文学科の教授として奉職する傍ら、数々のエッセイを発表した。1993(平成5)年に終生の師と仰いだ井伏鱒二が逝去した後、1995年に最後の作品をものして、翌1996年その後を追うように 78歳で亡くなった。私が庄野潤三の家で手に取ったのもこの中の一冊であったし、時折休講掲示で「小沼救」の名を見かけたことを今更のように思い出す。

今の時代、面白そうな作品を検索することはできても、作家との出会いとなるとやはり難しい。それをこの読書会で皆と味わえたことは幸せだと思う。小沼サンは書くこと、書き続けることの意味と読む喜びが、どこからともなく花の香りのように伝わってくる作家だった。そういえばご本人はたいへんな植物好きで、造詣が深かったと聞く。なるほど、この本の巻末に和服姿で草木の中に佇む写真の中の小沼サンはなかなかにきまっている。

─ 文・Chiro ─