2019年4月

2019年4月5日
課題図書:「獄門島」横溝正史
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瀬戸内海に浮かぶ孤島、獄門島。切り立った崖のこの島の一部に、家々が寄り合って暮らす集落がある。天候不順、重い灰色の雲に覆われたこの島を牛耳るのは、本家と分家に分かれた鬼頭一族。その家の存続をめぐって、謎の殺人事件が3件続けて起きる。花子、雪枝、月代、見目麗しい三人の姉妹をだれが、どうやって殺したのか…。

この連続殺人が起きる直前、島にひょっこり現れたのが金田一耕助である。太平洋戦争から復員する船の中で死んだ、三姉妹の兄に頼まれたのだ。そして、金田一は次から次へと事件を解決…しない。まったくしない。三姉妹は短期間でどんどん死んでしまうのである。

この小説の最大の特徴は、情景描写である。私は幼少のころ、テレビで見た角川映画(「八つ墓村」、「犬神家の一族」など)で震え上がった。ロウソクを頭に突き立てて村人を殺しまくる主人公の父、沼から突き出た裸の2本足など、記憶から消し得ない強烈な映像が怖かったからである。奇しくもメンバーの一人が言っていたが、横溝の描写で浮かぶ絵面は、殺人現場であっても芸術的。私は、そんなおどろおどろしい、そして、どんな嫌な気持ちになる物語が待っているのかと、怖いもの見たさで読み始めた。

ところが、である。金田一は頭を掻いてはフケを飛ばし、事件は一向に解決されない。三女が木につるされようが、次女が首を絞められようが村人たちはどこか飄々としている。村の情報にたけた床屋の清公(せいこう)は、とにかくしゃべる、しゃべる。惨殺の描写とトボけたテンポが絶妙に相まって、横溝ワールドが展開していくのである。

そして、あるメンバーが指摘したこの小説のもうひとつの特徴は、「地の文」があることだ。テレビで言うところのナレーションである。昨今のミステリーは、刑事なり犯人なり、だれかの目線で描かれることが多い。しかし、獄門島では“第三者の目”が存在し、ときおり『諸君ももうお分かりだろう』『このあとさらなる悲劇が起きることなど気づいていなかった』というような誘導がなされる。最近では用いられないこの手法が、メンバーにも「いつ?いつ?やっぱり死んじゃうの?」というスリルをもたらしたという。賛否もあったが、推理小説好きの私には改めて新鮮に感じられた。

今回の赤メガネでは、推理小説の鉄則も話題にのぼった。「自分が金田一になって犯人を突き止めることは不可能」と指摘したメンバーに対し、あるメンバーは、イギリスの神学者で推理小説家のロナルド・ノックスなる人物を紹介。彼によると、「推理小説は読者に提示していない手がかりによって事件を解決してはいけない」という。つまり、読者には必ず犯人を突き止める道筋が示されているというのだ。これは「ノックスの十戒」と呼ばれ、現代でも推理小説を書く際の法則とされているとのこと。その点でも、横溝は巧みに伏線を張り、物語が少し進むと「あれが示唆してたのか!」と気づくのである。メンバーの一人は、だれも想像し得なかった真犯人を、その伏線で怪しいと感じたという。

本で横溝正史の世界に立ち入るのは初めてだった私だが、思っていたよりも語り口が柔らかであることに驚いた。金田一シリーズは今後も続けて読んでみたいと思う。映像に関わる身として、残酷でありながらもインパクトのある映像を作ってみたい、どうせなら見る人を思いっきり怖がらせてやりたい、そんな意欲を掻き立てられるからだろう。ただただ怖がっていた私も、いつの間にか大人になったんだなぁと感じさせる、そんな小説だった。

― 文・オノサクラ ―


2019年4月26日
課題図書:「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」ジュノ・ディアス
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「オスカー・ワオの短く凄まじい人生」は、ドミニカ共和国出身の米国人作家、ジュノ・ディアスの作品。ピューリッツァ賞と全米批評家協会賞をダブルで受賞し、ミリオンセラーとなった長編小説だ。原作名は「THE Brief Wondrous Life of Oscar Wao」。Wondrousという言葉を直訳すると「奇跡の」とか「不思議な」といった意味になるが、主人公であるオスカー・ワオの人生は決して奇跡的でも不思議なものでもなかった。だからこそ訳者は作者の意を汲み取り「凄まじい」と意訳した。このセンスには脱帽だ。

 ドミニカ移民の子としてアメリカに住む主人公のオスカーは、アニメやゲームが好きな太っちょのオタクで、とにかくモテない。家族や友人たちは彼を温かく応援しつつも、一生涯童貞を守り抜くに違いないと思っていた。まあそこに関してはどんでん返しがあるのだが、いずれにせよ家族も友達も周囲の女の子たちも、そしてたぶん彼自身も、主人公のことをしょーもない奴と思っていたフシがある。そんな姿を見かねた母はオスカーを叩き直すために、祖母が住む祖国ドミニカに送る。幼少期の悲惨な体験からかなりねじ曲がった性格になった母親だが、娘(オスカーの姉)に対する度を超えた執着心とはうって変わって、なぜかオスカーには優しいのだ。

 ドミニカに渡ったオスカーは、様々な体験をしながら、やがて母の祖国にまつわる黒歴史を知ることになる。独裁政治にまつわる腐敗、貧富の格差、密告、暴力、暗殺、虐殺・・・。しかしそこで暮らす人々は、そんな黒歴史を「フク」=呪いと位置づけることで現実から棚上げし、日々を努めて明るく過ごしている、ように見えるのが救いではある。そのあたりが、スパイ小説でよく出てくる、ひたすら暗く冷たい冷戦下の東欧との違いだ。だがその実、人間はそこまで単純じゃない。じりじり照りつける太陽、陽気なリズム、底抜けの笑顔の裏側には、トルヒーヨ政権下の政治腐敗や弾圧に始まった深い苦悩の歴史が刻みつけられ、個々の人となりに影響を与えている。白人、黒人、ムラート(混血)といった人種の混在や、国境を接するハイチ人との確執など、肌の色や出自による格付けが半ば常識としてまかり通っているのも彼らの現実だ。

 とはいえ、ドミニカ共和国にそんな黒歴史があったことをわれわれ日本人はほとんど知らない。それは参加したメンバーも同じで、「知っていることといえば超有名メジャーリーガーを何人も輩出していることと、陽気な人たちなんだろうな、ぐらい(ひろし)」というのが的を射た表現だ。そしてそれが、この作品にある種のとっつきにくさを生んでいる。「とくに1章が読みにくかった。知らないオタク用語もたくさん出てくるし。でも進んでいくにつれ、共感とまではいかないけど、どんどん面白くなっていった。(まいこら)」のは、ストーリー展開の巧みさに加え、ドミニカ共和国への理解が徐々に進んだからだろう。

 オスカーはモテないオタクだ。作品中には日本をはじめとする各国のアニメやゲーム、SF小説の話題がたくさん出てくる。「AKIRAや復活の日が出てきたのは日本人としては嬉しかった。他にも指輪物語とか猿の惑星とかロードオブザリングとか、作品を読んだことがある人ならクスッと笑える要素満載(むね)」であり、それが「知ってるものを散りばめると物語に入っていきやすい(まき)」という効果を発揮している。さらに、むねはきわめて重要なことも喝破して見せた。「日本のオタクって女の子に興味はあるけど、それってアニメやフィギュアじゃないですか。同じオタクでもオスカーが決定的に違うのは、生身の女性に興味をもっていることなんですよ」。「ロラ(姉)のキャラはものすごく魅力的(けんすけ)」で、「家族の壮大な物語、とくに祖父にまつわる部分は感情移入できる(しげ)」し、「お母さんの描き方も素晴らしい(はせまり)」というように、脇役たちのキャラクターがよく書き込まれていて、それがストーリーに深みを与えている。「あっさりした部分がどこにもない(まき)」綿密に練り込まれた壮絶なストーリーがこの作品の大きな魅力だ。しかしむねが指摘したように、物語の本筋は、オスカーが彼女をつくって童貞を捨てられるか?にある。

 フラれにフラれ、それでも粘り強く、勇気を持って彼女捜しを続けるオスカーに、ついに恋人ができた。ネタバレになるので詳細を書くのは避けるが、ラストはまさかの展開であり、「これは悲劇ですよ。そこにちょっとした救いをつくっただけで(しげ)」、「スタインベックの『ハツカネズミと人間』と重なって辛かった(まき)」という声も聞かれた。たしかにそうかもしれない。けれど僕は、作者は悲劇を単なる悲劇で終わらせまいとしているように感じた。「悲劇を起こすことで幸せを描きたかったのでは?(ひろし)」という論法でいけば、この人のためなら死んでもいいと思える異性との出会いは究極の愛の発見であり、真の幸せの形であり、その意味においてこの作品は究極の純愛物語でもあると思うのだ。

― 文・岡崎 五朗 ―