2019年1月

2019年1月11日
課題図書:「夏の朝の成層圏」池澤夏樹
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2019年の今年、9年目を迎えた赤メガネの会、新年最初の課題図書は、池澤夏樹さんのデビュー作「夏の朝の成層圏」。ちなみに僕も読書会に参加してから初めての開催レポートを書くこととなり、デビューつながりな感じである。

こんなに澄んだ題名をよくつけたなと思う。「夏」の「朝」の「成層圏」。透き通っていて、静かな言葉が表紙の深い青と一緒になって、読む前からもう爽やかな気持ちになっている。

本を開くと、「ぼく」は空を見ている。雲が浮かんでいるあたりの低い空はさほど青くないけれど、目をあげるとだんだん濃くなり、一番高いところはあまりに青い。主人公の「ぼく」は、島にいるようだ。たったひとりで。そこは暑く、目にする自然はどれも美しい。そしてまた、「ぼく」はこの島を出て帰らなくてはならないらしい。帰るために、自分の身に起きたこと、この島で暮らしたことを書き残すと「ぼく」は読者に伝える。そうしてこの小説は始まる。

主人公は日本の新聞記者で、マグロ漁の取材のため漁船に乗る。そしてある夜に、船にぶつかる大波を撮ろうとしたところを波にさらわれ、そのまま漂流して誰もいない小さな島に漂着する。唐突に文明から切り離された生活の中で、生きるために椰子に登り、雨水を飲み、その日その日を生き抜くという生活に適応し、とてもシンプルな存在になっていく。そんな中、海を挟んだ向こうの島に行こうと考える。だがたどり着いたその島で、一軒の西洋風の白い家を見つけることになる。

これまでの課題図書ではまだ選ばれていない作家を取り上げたい、と考えてたところ、以前池澤夏樹さんの代表作のひとつ「スティル・ライフ」を読んでとても面白かったので、他の作品を課題図書でみんなで読めないかなと探してみた。そうして見つけたデビュー作のこの作品、無人島でひとり生活する話というあらすじにワクワクしたので決めた。

読書会が始まり、参加者の方々からはまず、

・無人島で生活する中で、もっと色々ハプニングが起こるかと思った。そうじゃなかったけどサラサラ読めて、すごく面白い!ではなく、不思議な印象の小説。
・サバイバル生活にしては淡々としてて、実際に無人島で生きなくちゃとなった時、主人公みたいに淡々と、そこで生きること自体に楽しみを見いだせるだろうかと思った。
・その静かで淡々と何も起きない描写が好き。そしてその描写する文章が素晴らしく美しい。無人島での主人公の孤独さが悲観的に描かれているわけではなく、主人公と共に読んでる自分も静かに自分と向き合っているような感覚になる。
・サバイバル感のない主人公を好きになった。海に落ちれば波に身を委ね、島に着いたら腹を据えてそこでの生活と向き合い味わうように生きる。どうしてそんな風になれるのかと思うと、きっと彼は心のどこかでいつかは帰れると信じてるからじゃないかと思う。日本で淡々と生き、無人島でも淡々と生き抜くのは、どこかで自分を信じてるから。

と、無人島に漂着というある種危機的な状況の中で、主人公のサバイブがとても静かに淡々と描かれてることに対しての感想がまず上がった。

思えば小説全体をこの「静か」な印象が貫いている。主人公は自分の身に起こる危機も、文明から遠く離された生活も、どこか俯瞰して見ているように、クールに乗り越える。このクールさ、俯瞰している感じは、流れ着いた島ですっかり馴染んだ原始的な生活から文明的な生活を強いる日本に戻るには、自分の身に起こった出来事を文章で書き残さなくてはならないと考えた主人公が、読者に向けて語るというこの小説のスタイルから来ているのも勿論あるし、世界文学に造詣の深い池澤夏樹さんの、まるで海外小説を翻訳したような洗練された文章も影響していると思う。
またこの静かさは、「夏の朝の成層圏」という題名をつけられた時点で、もう約束されているようにも思えた。

この小説の中で大きなターニングポイントになるのが、西洋風の白い家の持ち主、マイロンの登場だと思う。読書会でもマイロンについての意見が数多く上がった。
マイロンはハリウッド俳優だが、都会での生活に疲れ、また娘の死によってアルコール中毒になっている。そんな自分を癒すためにこの島にやってきて、そして主人公と対話し、共同作業し、自分を取り戻していく。
主人公はマイロンと関わることになってから、都市の文明的な生活と島での生活の違いをはっきりと考えさせられ、ずっとこの島にいることは出来ないと思わされる。
マイロンは主人公によって、主人公はマイロンによって、変化し、変化させられる。

作家が多くの社会問題をこの作品の中に入れているという意見も上がった。
この本の発表された1984年は、エコについてとか、地球規模の環境汚染、オゾンホールだとかの関心は薄く、まだ国内の公害問題の意識の方が強かった。
また、自給自足ではなく、遠く誰かの作った食物を食べるという社会のシステムに対しての問題提起も、まだ浸透する前だった。
その頃に、都市の生活を離れ自然の中で自分の力で生きる、自然に回帰する、という物語はきっと斬新に感じたんじゃないだろうか。
また、1984年は、商業五輪の発端となったロサンゼルス五輪、また翌年はバブル景気をもたらすプラザ合意と、資本主義が大きく動いている。それを受けて、マイロンが仮にアメリカの資本主義・都市文明というものをどこかで象徴した存在で、自然回帰を望む主人公は、マイロンに触れることで違う自分に変えられてしまった、自然への回帰はもう実現できないものとなってしまったということを表してるという意見もあった。
島の精霊、軍による島民の立ち退き、核兵器の実験場、など、触れてはいないが他にも文明社会への問題提起に繋がりそうな事柄は本文中に数多く描かれている。

物語の最後、主人公は島民を殺害する軍の夢を見る。そして夜明け前に目覚めてから、朝が明け昼が過ぎ太陽が沈むのを見る。そしてこの島で見る最後の夕日だと思う。夜、空に光る星が目に入り、眠るように物語は終わる。これが何を意味するか、彼がこの後どうなるのかは、読者それぞれに委ねられているみたいだ。ますます豊かな印象を与える小説だと思った。
小説のバックグラウンドを知って、そこから見えてくるメッセージを受け取りながら読むこともできたり、この本の静かな物語を味わったり、本の楽しみ方、感じ方は読んだ人それぞれに生まれる。
今回の読書会も豊かな感想や意見の生まれた回だったと思う。