2021年7月

2021年7月4日
第187回課題図書:「海と毒薬」遠藤周作

第二次世界大戦中、1945年に起きた事件『九州大学生体解剖事件』をご存知ですか?
その実際にあったお話を基に書かれた小説が今回の課題図書です。
何か衝撃を受けて”本を読んで鳥肌をたててみたい!”というテーマで本を探していると
“実際に起きた事件”しかも”生きたまま解剖”という言葉に目が止まりました。
え、一人で読むのはこわいかも…と思いつつ
毎回、赤メガネのメンバーの方とお話していると、私は知らない事多いな。と痛感するので、赤メガネに参加してからは今まで以上に、”昔に起きた出来事”や”人それぞれの感じ方をもっと知りたい!”と思う私にとって
まさにピッタリな読みたい本だ!と思い
今回『海と毒薬』を選書しました。
課題図書になれば恐くても皆さんと感じた事を話すんだ!と思って読めるのです。
そして、読んでみて、、、。
“生きたまま解剖”なんて、もちろん殺人行為。
生体解剖実験のこわさと
ごく普通の人がその実験に参加していく怖さとでゾクゾク。鳥肌がたちました。

ー そして赤メガネの会 ー
実験に関わった人たちは、戦争というものがそうさせてしまったのか。
それとも、その人の持っていたものがそうさせたのか。
「時代の空気がそうさせたって感覚よりは、その人のもっていたものがそうさせたって印象だった。
だけど読み終えてからWikipediaを読むと、あの時がそうさせたのかな」と、けんすけさん。
「ごく普通の人が、異常な事(人がしてはいけない事)を平気で出来るようになっていってしまう。
“人間ってなんだろうな”って答えが出ないことを考え続ける作品だったね」と、シゲさん。
その時の状況、、、人間関係のしがらみ、欲。
いつ、誰が、道を踏み外してしまうかわからない
誰にでもあるかもしれない人間の怖さを感じました。
アメリカ人捕虜たちが憎くて殺したのではなく、医学の発展のため、より多くの人の命を救うために実験を行った要素が少なからずあったようだ。
「良い、悪い」
この話、最初あらすじだけを読んだら
ジャッジできる事のように感じるけど
読めば読むほど
あれ?あかん事はあかん事だけど
そのやった人達を自分は責めれるか?
てなってくる。
状況、人間関係のしがらみ、自分の気持ち
いろんなものが合わさった時
“流されてしまった自分”がいたことはないだろうか、、と。
「流されやすい日本人の国民性がでていた」と、あずみさん。
「”してはいけない”の一線って、段々とで
気がついたら向こう側にいってしまっている。人ってそうやって失敗するんじゃないかな」と、はせまりさん。
「あなたはどうか?と聞かれているようでゾクっとした」と、やすこさん。
そう。自分だったら?
その場でNO! よくない事じゃない⁉︎
て言えない事
あったよなって。
“弱さ”に向き合わされるし、
“人間ってなんだろう”という事を考え続ける
読んで良かった作品でした。
この『海と毒薬』のタイトルにも注目された方が多かったようで、
この事件に関わってしまった看護婦や医学生がどうして関わる事になったのかを書いているシーンがあるのですが、
「この看護婦や医学生のどす黒い感情が、『海と毒薬』というタイトルのイメージに含まれているのではないか」と、nobuさん。
私もなんだかジワジワと海に毒薬が溶けていくように、どす黒い感情が周りの人に侵食していくイメージを思い浮べました。
そして最後に「生体解剖の時に、参加すると自分で決めてその場に居たが、実際には(やってはいけない事に気付いてか)見ていただけになった医学生がいた。その人は実験をしていた人と同じくらい悪いと思う?」という質問をしました。
「持ち場、視点などは違うから難しいが、一緒ではないと思う」と、けんけんさん。
「裁判などでは実際に手を出した人、手を出さなかった人で罪の重さは違うかもしれない。 だけど、神様からみるとレベルの違いはないんじゃないか」など、
メンバーからそれぞれの答えをもらいました。
スパン!と答えがでない事なので
いろんな意見に確かにそういう考え方もあるな、、と着地点を探していたら
「自分ができないことにジャッジはしちゃいけないと思うな」という牧さんの言葉が一番心に響きました。
そうだ。”良い、悪い”だけで判断出来ない事もあるんだと。
ただ、こういう事実があったという事を知っておく事は、大切だなと思いました。

─ 文・宮崎 夢子 ─


2021年7月25日
第188回課題図書:「すばらしい新世界」オルダス・ハクスリー

産業革命以来、大量生産と大量消費を美徳とした便利な社会が理想とされてきました。しかし現在は温暖化による大規模な自然災害の急増で人類どころか地球の存続さえ危うく、世界は確実に終焉に向かっているのではないでしょうか。コロナ禍で価値観も生き方も変わらざるを得ない私たちはどこに救いを求めたらよいのでしょう。1932年刊行以来読まれてきたハクスリーの「すばらしい新世界」に進むべき道、生き方のヒントを得られたらと課題図書に選びました。

「すばらしい新世界」を読んで思ったことや感じたことはなんでしょう

人間らしく生きたいと誰しも願っていると思います。すばらしい「新世界」では子供は卵子から大量生産されます。生育過程で刷り込みや反射付けによって各階級の人々がつくられ、その社会では決して不快や不満を感じないように常に快適でいられるよう厳重にコントロールされています。一見幸せのように思われますが、与えられた価値観をそのまま受け入れて管理されて生きることは自由も与えられないということです。価値観の逆転したSFの世界が描かれていると思いながら、実は私たちもすでにそんな生き方を強いられているのではないかとも思わされます。

・辛いこと嫌なことに向きあい乗り越えてこそ幸せや喜びを感じられる。どんなに安心・安全な世界でも、生まれる前にすべてが決められているのは不自由で嫌だと思います。

・ディストピア小説は苦手だが、皮肉やウイットに富み面白かった。価値観を根底からかえた世界を野人ジョンと対比させ、「あなたはどう考えるか」と問題提起されたようで考えさせられました。

・とても面白かった。現代に照らせばいわばフォード紀ならぬマイクロソフト紀と呼べる時代である。ディストピアといいながら私たちはすでにそれをユートピアとして受け入れているのではないか。皆さんは巨大な企業群GAFAの便利さを享受し、その管理下に置かれていることさえ気付かず受け入れてしまっているのではないでしょうか。

・後半、野人ジョンが登場してから面白くなった。ヨーロッパで、特に宗教をシニカルに描いた点で、価値観を逆転させた世界がSFの元祖として今につながっていることにも納得しました。後半のモンドとジョンの会話はこの小説の神髄だと思います。いい本を読んだと思いました。

・長く読み続けられてきたものはやはりすごく面白いと思った。モンドと野人ジョンの会話部分が素晴らしく、この小説の中で白眉である。

最高の知識階級アルファだけの実験的共同生活は、闘争と殺戮が繰り返される結果に終わります。人間の本性の恐ろしさと、社会的弱者、虐げられた者の存在なくして社会は成立しないのかと絶望感が残りました。

世界統制官ムスタファ・モンドと野人ジョンのやりとりにこの小説の「神髄」、「白眉」と称賛の言葉が上がりました。確かに哲学か宗教論のようで格調高く感じられるところで、その慧眼に瞠目しました。

光文社、古典新訳文庫(黒原敏行氏訳)の同書の解説に東北学院大学教授植松靖夫氏の言及を発見、興味深いのでご覧になってない方はご参考に。以下一部引用。

【二人の議論はドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」に描かれている有名な「大審問官」の場面を下敷きにしたもので、バーナード、ヘルムホルツ、ジョンがそれぞれ求めている『自由』の限界が示されている……】(P.410-5~)

新世界で生きるとしたらどの階級(誰)を選びますか

誰もが権力を持ち世界を支配し君臨したい、富裕層の頂点を極め優雅な生活をしたいと少なからず思うことがあるのではないかと思います。しかし現実は思い描いた場所とは違った所に置かれ思うようにいかないのが人生です。「すばらしい新世界」でそんな成りたい自分をイメージしていただきました。当然というかメンバーの皆さんはほぼアルファを選択されました。けれどもそれぞれに皆さんの思いが表れていました。

・アルファしかない。それ以外の登場人物であれば自然で自由に生きるジョン。

・絶対に最高位のアルファ、世界統制官(ムスタファ・モンド)になりたい。

・階級より、自分の頭で考え自分を表現したいと思っている人(ヘルム・ホルツ)です。

・最下層のイプシロンがいい。クリエイティブなことから離れ、ずっと単純作業を淡々とやり続けたい。

・ジョンです。その境遇には耐えられないが、洗脳され反射づけられ自分の意思がない生き方はしたくない。

野人ジョンが自死してしまう結末をどう思いますか

新世界の両親から生まれ野人保護区で育ったジョンは、両方の価値観を合わせもっていると思われます。シェークスピアで象徴される人間的な面と、神にも背く過激で否定的な面。新世界でバランスを保てるはずもなく、遂には自死を選びました。当然の成り行きとはいえ、違う結末は考えられなかったのかと個人的に疑問が残りました。しかしメンバーの皆さんは冷静に捉えていました。

・残念な終わりかただが、彼の選択は仕方がない。友達と一緒に島に行き幸せに暮らしてほしかった。他に道を探してほしかった。

・自然で、当然の成り行き。社会と折り合えず、母も亡くなり、好きになった女性にも幻滅し、生きていけなくなった。作者はのちに第3の道も考えたがやはり現在のままとしたそうです。

・当然の帰結。新世界という宗教を排除した世界であったとしても、薬物と乱交にいたったことで神への誓いを破ったことに絶望した。自死させたことに更に意味があったのか、二重のトラップがあったのではとも考えられる。

・この小説の終わらせ方としてはすごくいい終わらせ方。当時、作者の身の周りで「最近の若いものは快楽にばかり走ってダメだ」という風潮があったのではないか。作者は「人間として大事なもの」があり、「大事なもの」を失ったら人間は生きていけないと伝えたかったのではないかと思う。

終わりに

私たちが置かれている状況はひょっとしたら皮肉にも「すばらしい新世界」と同じではないでしょうか。誰もが明るく元気でハッピーな社会、実はそれを維持するために人類はとてつもなく大事なものを悪魔に差し出してしまったのかもしれません。

地球環境や人口問題が叫ばれる一方で、経済発展の旗のもと未開の地に巨大資本が入り開拓を進めています。つまり私たちが生きているのは、自然を破壊することなくして経済成長を遂げることができない社会になっているのです。貧困層がなければ富裕層も存在しえないということです。この仕組みをいかに変えていくのか、ひとりひとりが考えできることをやり続けていくことが大きな力になり真に「すばらしい新世界」になることを未来に託してレポートを終わらせていただきます。ありがとうございました。

─ 文・弘岡 知子 ─