2018年9月

2018年9月21日
課題図書:「ハツカネズミと人間 (Of Mice and Men)」ジョン・スタインベック
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世界的な名著に位置する当作品ですが、スタインベックのイメージ通りの内容で、「世界大恐慌時のカリフォルニアの大地に根ずく労働者階級」がベースになっています。
今回は新潮文庫の文庫版で166ページと非常にコンパクトかつ読み易い文体ながら、それでいてエッセンスが詰まっていて語るべきが多い「さすが!の内容」という意見が多かったです。

■あらすじ
知的障害のレニーとその面倒を見るジョージは日雇い労働者として世界大恐慌時のカリフォルニア農場を渡り歩く。
楽ではない生活のなか、自身の農場を持つという夢を語る二人。
辿り着いたソルダードの農場で夢は現実味を帯び始めるが、そんな中で知的障害が故にレニーが事件を起こすが…。

❖弱者
広く言われているように非常に戯曲的な構成・要素で登場人物は少ないですが、彼らは弱者として描かれています。
・”知的障害”のレニー
・”黒人”で”背中に障害”をもつクルックス
・”右手が無く”かつ”身寄りの無い老人”のキャンディー
ラバ使いの名人で一目置かれるスリムでさえ”日雇い労働者”です。

ただしスタインベックは彼らを安易に擁護するわけではありません。
ただただ深い親愛の情を持って彼らの日常を丁寧に切り取り描いています。
その静かに見守る視点がカリフォルニアの大地とオーバーラップし、166ページ中の登場人物説明は極小ながら奥行は深くなっています。
最小で最大を語る彼の力量だと思います。

❖カーリーの妻
カーリーの妻も非常に重要な役を担いながら、唯一名前が与えられていません(農場のボスもですが)。
若く美人な彼女にも(だからこそ)捨てきれない夢がありますが、それは欲にまみれ浅はかで嫉妬深いものです。
それは正に純真無垢なレニーの夢と対局にあり、その夢の求心力に引かれる者の希望を一つずつ、一人ずつ彼女の存在が壊してしまいます。
しかしながら彼女を絶対悪として断罪しているわけではありません。
社会の底辺に日常的に存在する事象とも言えます。

❖庇護者
レニーの面倒を見るジョージですが、一般的には日常生活を物理的にケアするジョージが庇護者ですがレニーこそがジョージの心の支えとなっています。
では何故に一人で生きることが出来るジョージはレニーの支えを必要としたのでしょうか?
諦めるしか選択肢がない難しい時代に、全く色褪せない希望を放ち続けるレニーの存在は「諦め」の決壊を支える柱だったということでしょう。
だからこそ、レニーこそがジョージの庇護者という意見が多数でした。

❖暗示
会では「巧な先行きの暗示・伏線」を評価する意見もありました。
・何度も印象付けられる隠れ場所の茂み
・ハツカネズミ ⇒ 仔犬 とエスカレートする先にあるカーリーの妻
短い構成の中で表現されていますが、これがやはり読中、終始微かに感じる息苦しさの演出かもしれません。

❖視点・立場
会では「読む人の視点・立場・状態によって、見え方・感じ方が異なるところが良い」との意見もありました。
それらの一例を挙げるなら、
・リンチという残酷な仕打ちを避けるために取るジョージの行動にはどのような感情があるのか?それは感情を越えた達観なのか?
・実は実現出来ないことを薄々感じていた「夢」に終止符が打たれたことで、心の重荷が取れ安堵したのか?それとも絶望か?
・行く末は25セントの酒か?それとも新たなストーリーの始まりか?
これらの例を含め、会メンバーの読後感は様々なようです。

❖タイトル
予備知識なしでタイトルを見ると「ハツカネズミ」の解釈に迷いが出ると思います。
劇中でのハツカネズミは、とても儚く、壊れやすい人間の「希望」を表現していると思いますが、なぜにネズミ?のチョイスだったのか。
これは訳者のあとがきにあるスコットランドの詩人バーンズの「ハツカネズミに(第七節)」の引用を読むと腑に落ちるものがあります。

❖Life Goes On
エンディングの事象は悲劇と言えますが、この悲劇の先にあるものは何でしょうか?
ここがスタインベックの真骨頂だと思いますが、まさに「Life Goes On」だという意見がありました。
悲劇があろうと無かろうと、それでも人生は続くし、カリフォルニアの大地は静かに見守るだけです。

Life Goes On… 締めにぴったりの書感です。