2020年5月16日
第168回課題図書:「荒潮」陳楸帆(チェンシュウファン)
最近、中国もしくは中国系作家の勢いが凄いと個人的に感じている。
日本にも多くの中国人ツーリスト、留学生や労働者が訪れており、直に接する機会も増え物理的勢いも個人的に感じている。
もともと隣人ではあるのだけれども、ここまで身近な存在になった今、彼らの文学にも触れてみたくなるのが、本好きの性ってものだろう。
その気持ちを満たすべく、今回は現代中国純文学をセレクトしたかったのだが、なにせ、日本語訳がされていてお手頃価格な作品がとっても少ないのである。
困った。
うん。SFにしよう!
そんなわけで今回の作品が選ばれたのだった。
これからもっと需要が増えて、多くの文学作品が日本語訳されるといいですね。みなさん。
さて、この「荒潮」。
どんなお話か。
近未来の中国のシリコン島という島で暮らす主人公の女の子米米(ミーミー)。
米米は島の最下層民のゴミ人である。(ひどい名前である)
環境再生計画という名のもとにアメリカの企業のコンサルタントが島に訪れ、元々シリコン島の利権を争い続けていた三つの勢力の争いがさらに激化する。
一方、米米はあることがきっかけで電脳化し、島の勢力争いを一変させるほどの力を得ることになる。そんな、お話である。
私は、自称SF好きで通しているし、ささやかながら周りの親しい友人たちからそう認められてきた。
しかし、そのことを猛省する。
今作品で私は、己の頭の固さ、もしくは柔らかさの全く欠如した、もう若人に敬遠され、裏で陰口をたたかれるような話しかできない梅干しの種のような脳みそが出来上がっていることを知らされる羽目になったのだった。
私は、攻殻機動隊というアニメが好きである。
だから、電脳的、電子的な話が出てくると、どうしてもそれをトレースしてしまうのである。
だからこそ、この作品を物足りなく感じてしまったのだ。
それは、仕方ないだろう。
かのアニメは、ボリュームが違う。それを1冊400p弱の作品に求めるのは酷である。
わかってはいるのだ。しかし、どうしても比較してしまう。
ああ。これが頭が固いということなのだろう。
一つの視点でしか物事をとらえられていない。これを気づかせてくれ、そして、その視野を広げてくれたのは、結局赤メガネの会の仲間だったのだ。
この作品は、読み進めていくと、様々なエンターテイメント要素に溢れていることに気づく。(私は気づかなかったが)
いわゆる、ハリウッドのSF映画、ブレードランナーやバイオハザード的なシーンや日本のアニメ、前述の攻殻機動隊やエヴァンゲリオンなど、さらにはスパイものの代表作007を想起させる要素盛沢山なのである。
著者はかなりの好きものである(いやらしい意味ではなく)。
また、一方で、中国人としての視点から、アメリカ、日本そして中国を捉え、現在の中国の現状から貧富の差やグローバリゼーションに対する考えなどポリティカルな要素も紛れ込ませている。
あるメンバーはこれをパッチワーク的作品と称した。
納得感がある。
もちろん、それは、だから何もあらわせてないんだよという意見もあるだろう。
でも、必ずしも意味を深く持ち、世間に意義を問いかけることが正しいわけではないさ。
そう、これは極上のポップスなのだから。
この言葉は、凝り固まった私の脳を、いやさ心を、やさしくとろけさせてくれた。
メンバーの数人は、この作品はSFという要素を抜いても成立すると言っていた。
だとすれば、SFが得意でない人にとっても楽しめるであろう。とはいえ、それでもSFであるのはなぜか?
それは、この著者が好きだからなんだろうね。
それが正しいとか間違ってるとかではなく、柔軟に楽しむことが大切だって思わせてくれた作品だった。
ちなみに、タイトルの「荒潮」は先の大戦時の日本の実際の駆逐艦の名前だし、結構実在の人物や物の名称が出てくるところも、著者のオタク(ほめ言葉)感が丸出しでよいし、そこに隠された意味があったとしたらそれはそれでよい。
そんな作品があってもいいさ。柔軟に。
― 文・佐野 宏 ―