2022年7月

2022年7月18日
課題図書:「楢山節考」深沢七郎

今回の課題図書「楢山節考」は、絵本や今村昌平監督の同名の映画でよく知られている作品 です。年老いた親を山に捨てるという「掟」を守らないと生きていけない、貧しい寒村の人々 の理不尽な話です。江戸時代の終わりか明治の時代か、寒村の宿命に抗いたくも生き延びる ためにはそうせざるを得ない人々、捨てられる親、捨てる子、それぞれの姿が辛く、悲しく、 醜く、残酷に、そしてまた凛々しくも美しく描かれています。

「楢山節考」から「老後や介護」、「いかに死すか」等についてどう感じたでしょうか?

・自分にとっては、まだまだ考えられないし難しい問題です。代わりに自分の親に置き換え ると、親はどう考えるのか、知りたいし知っておきたいと思います。少しずつ話しあってい けたらと思います。

・読みながら自分自身も、老いた家族の今後を考えなければと感じました。口減らしなどの 厳しい話は過去のことになり、自分たちは、今、幸せだが反面このまま続くのかという不安 も感じいろいろ考えさせられました。

・一言でいうと身につまされる話です。東京都写真美術館で開催中の『メメント・モリと写 真 死は何を照らし出すのか』をみました。「メメント・モリ」はラテン語で「死を想え」 という意味で、人々の日常がいつも死と隣り合わせであることを示す警句でした。その展示 と相まって現代にとって死をどう考え、今をいかに生きるべきか、死を可視化して捉えさせ る小説です。読んで良かったです。

・姥捨てというが、おりんさんはまだ 69 歳で歯も丈夫で元気、考え方もバランスよく、家 族に限らず周囲の人たちを思いやれる温かい人として描かれています。まだまだ元気に生 きられるのに捨てさられることに物悲しさを感じます。

作品世界の表現について感じたことは?

・過酷な環境に生きる人々を描いた場面、「嫌がる父親を縄で縛り、山に捨てに行く途中で 谷から突き落とす」など描写がリアルで怖かった。人の命を奪うのは現在では犯罪だけれど、 生き延びるための村の掟には従わなければならない。「掟」という言葉ですべてが縛られる 社会に重いものを感じました。よくかけていて面白かった

・仲間の食べ物を盗んだ村人一家に生き埋めという残酷な制裁を加えるところで、以前観た 映画にも同じような場面があり、フラシュ・バックしました。

・農作物の品種改良が進み、寒冷地でも多くの農作物ができるようになったことで、口減ら しのために姥捨てとか間引きという悲惨なことがなくなったのだと思いました。

・特に秀逸、白眉ともいえる感動のシーンがあります。それは息子の辰やんが、おりんを山 に捨て、山を下ろうとするとき、おりんがひたすら願ったとおりに雪が降ってきたので、た だ一言「雪が降ってきたな」とだけでも伝えたくて、掟も構わずおりんの下に必死にかけ戻 る場面。自分自身、子供の頃から慣れ親しんだ美しい故郷の雪景色が脳裏に浮かび、辰やん の胸に迫る気持ちも察せられ感動しました。この場面だけでも読む価値がありました。

・大人の日本昔話だと思いました。家族を想い、村の仲間を想い、お山に行くために喜び勇む心を抑えて淡々と準備を進めるおりんの姿は修行のために入山する修行僧の姿と重なりました。

深沢七郎がアンチ・ヒューマニストとは?

日沼倫太郎氏による「楢山節考」の解説、「深沢氏は、近代の人間中心的な思想とはまった く対蹠的な地点にたっている。これは深沢氏が徹底したアンチ・ヒューマニストであること を示している」について、メンバーから良く解らない、また深沢七郎氏がアンチ・ヒューマ ニストとは考えにくいという疑問が提示されました。他のメンバーからも多く同意見がで ました。戸惑う中、次の二つの意見に落ち着きました。

・必ずしもあとがき解説は正解じゃないのではないか。自分自身の考えを大事にしていいと 思う。いろいろな見方があってもいいと思う。

・あくまでもこの作品が書かれた時代の他の作家たちと比較してということではないか。当 時の時代背景も関係しているのではないだろうか。

(昭和 30 年から 50 年にかけて日本は高度経済成長時代でした。昭和 31 年度の日本経済白 書には「もはや戦後ではない」という名言が残されています。また、この作品が書かれた昭 和 39 年に第 1 回東京オリンピック大会が開催されています。)

安楽死をどう考える?

高齢者の人口が急増する中で、徐々に安楽死を選ぶ自由が請われるようになりました。「楢 山節考」の世界だけでなく、現代社会にも人に迷惑をかけてまで長生きしたくないと考える 人も少なくはないと思います。

・自分のこととして考えられないけれど、親に置き換えて考えると選ばせてあげたいと思い ます。

・まだ考えられないし良く解らない。若くても早く亡くなる人もいて、いつ死んでもおかし くないと思うと、後悔しないように生きるしかないとい思います。ただ管に繋がれて生きながらえるのは嫌だなと思います。

・十分生きたから安楽死してもいいとは思えません。最後までどんなに辛く苦しくとも、た とえいかなる状況におかれても、生き続けるべきであり生きる責任があると思います。

・言えることは、村の掟だからとか、宗教上で強要させるのは反対です。

・100 歳まで元気に生きることを目指し努力しています。人生は全うすべきです。ただ自分 らしく生きられないなら、自分で選択できることはいいことと思います。

・「自分らしく生きる」を前提にそうできなくなった時は選択したいと思います。

終わりに

「楢山節考」は遠い昔の話だけれど、今、現代社会を生きる我々にとってもシンクロするこ とが多くあるように思います。人はいつか死を迎えます。うんと先かもしれないし、不意に 突然やってくるかもしれません。そう思うとやはり、ひたすら今を懸命に生きることが大切 だとつくづく感じます。そして、全ての命を大切にし、全てのものが与えられたその生命を 全うできる世界にしなければならないと思うのです。

「楢山節考」エピソード ケンケンさんの場合

「楢山節考」の映画撮影のロケ地は僕の実家の隣の小谷村でした。映画の中に登場する緒形 拳さん扮する主人公の家族の子どもを演じた子役たちは僕の友達です。撮影した当時僕は 2-3 歳だったので記憶はありません。ロケのクルーが滞在した家の子供たちがそのまま子役 として映画に出演したということは、自分にとっては現実のこととしては捉えにくかった のですが、大人になって実際に映画を見て、その友達の名前をエンドロールに発見して初め て実感を得ました。

─ 文・弘岡知子 ─