2022年10月

2022年10月10日
課題図書:「忘れられた日本人」宮本常一

 図書館にお勤めのメンバーのいう「生き残ってきた本」という言葉に、感銘を受けました。今回の課題本、民俗学者「宮本常一」さんが書いた「忘れられた日本人」は、1984年に第1刷が発行され、2022年現在、第73刷。まさに、時代をこえて生き抜いてきた歴史ある本です。
 読書会のルーツでもある斎藤考先生の「読書力」の書評では、「本は、話しを聴く場でもある。身の回りにはちょっといない、すごい人の話を聴けるチャンス。特に、この本は、読みやすいのに強烈。」というのが、選書の理由でした。
 実際に、自分の足で全国をまわり、その土地の人のお話を聞いていった宮本常一さん。村の寄合などが、生き生きと描かれ、おじいちゃん、おばあちゃんが、隣で話をしてくれているような臨場感。読み始めは、するする読めるのですが、取材対象者や場所のデータ量に、苦戦するメンバーも。
 農業というと、大変というイメージがありますが、かつての農家の方々の楽しみは、歌だったり、笑い話だったり、夜這いだったり。声がいいとモテたそうで。エロ話も、かなり出てきます(笑)嫁姑問題も、姑だけ集まっての話し合いがあったり。録音機などない時代、全部メモしていったのか。信頼関係がなければ、ここまでさらけ出して話してくれないだろう、など、著者の宮本先生に思いを馳せるのも、楽しい時間でした。
 村の歴史も、ノンフィクション。道ができて、バスが走って、養蚕が入ってきて、潤って。今や世界遺産になっている富岡製糸場も、当時の繁栄そのまま、技術者を呼ぶエピソードがあったり。
 「世間師」という言葉も、初めて知りましたが、ひとつの場所にとどまらず、自由に旅をして、生きた人もいたそうで。家出する娘さんの話があったり。芸人さんは船に乗る時、芸を披露すればタダだったり。いろんな生き方があったのだな。今より、生きやすかったのか。それとも、いい思い出の方が、人に語りたくなるものなのか、わかりませんが。書き留めておかなければ、消えてしまうドキュメンタリー。「民俗学というのは、とても、尊いお仕事だと思った」そんな感想もありました。
 文字をもたない人は、口承で伝えていきましたが、今こうして、文字が残っていることに感謝。私たちが亡くなった後にも、この本は、きっとずっと残っていくのでしょう。その時は、第何刷になっているのでしょうか。本の役割を、体験したような、当時の人の笑い声が聞こえたような、不思議な感覚でした。

─ 文・池田 めぐみ ─


2022年10月30日
課題図書:「本当の戦争の話をしよう」ティム・オブライエン著/村上春樹訳 

戦争がある。いつだってこの星の上のどこかにある。
何のために?何をめぐって?
国のため、正義のため、信条信念のため、
エネルギーのため、港のため、経済水域のため、
自衛のため?
自分の夫や妻や、子供や親や、友達や恋人の命を守るため?
誰かの夫や妻や、子供や親や、友達や恋人の命を奪うのに足る理由なんてあるの?
だって、絶対にどっちも言うよ、あいつが先に手を出した、って。

 戦争?言われてみりゃあ今もやってんな。
ウクライナつったってずいぶん遠いし、自分にゃ関係ねーな。エネルギー高騰?食料不足?景気後退?まぁなくはねぇけどな。でもよ,、寝る所も食べる物も困りゃしねーし。
 そうそうキエフっていつのまにキーウになったの?キエフでいいじゃんよ。

 え?今読み終えたこの本ですか?
寡聞にして存じませんでしたが、ティム・オブライエンという作家が、ご自身のベトナム戦争体験を元に書いた『本当の戦争の話をしよう』という本です。
大部分は筆者の所属する部隊での出来事が書かれていますが、時折現在と戦争前の時間軸で物語が綴られます。
 翻訳はあの村上春樹ですよ。こないだWebミーティングで話した友達が、翻訳が上手いって口を揃えて言ってました。翻訳が上手いって、まぁ僕も思わなくはないですが、原書の立場は?って思っちゃいますねw。あ、翻訳って3回も言っちゃいました。
 でも決して村上ワールドって訳じゃないんです。あ、これは「やく」じゃなくて「わけ」の方ですよ。すみません、話戻しますね。村上ワールドじゃないけど、「やれやれ」って言うところとか、女性の服装の描き方が村上春樹っぽいらしいですよ。僕にはわかりませんでしたが・・。

 まぁそんなこんなで、面白い本だったと思う。みんなの感想を集約するとこんな感じ。
– フィクションとノンフィクションの境界線を意図的に曖昧にしているところがよい。
– 子供の教育をする母親に読んでほしい。
– 短編集でありながら、長編小説のような読後感。
– 不思議な読書体験となった。しばらく幻聴が聞こえた。
– 時折ショートブレークのような小品を挟む構成が読みやすかった。

 僕の個人的な感想は、筆者が戦争に対して疑問や嫌悪感、そして根本的な矛盾を抱えつつ、生と死の汽水域みたいなところを漂っている感じがよかった。
 侍も英雄も豪傑も出てこない。自分は勇敢でないとの自己嫌悪から逃れられない生身の作者。生身の作者によって、生身の人間が殺し殺される現場が淡々と語られる。
 みんなも言っていたし、自分も思ったのだけど、最初はネガティブな感情にさいなまれる。気分が良くなかった、引いた、なかなか読めなかった、と。でも徐々に引き込まれた、と。現在と過去とそのまた更に過去の3本の時間軸に沿って、日常と非日常が交差する。爽やかな青空と、爆発音がなり響く湿った空の下を行ったり来たりする感じ。そんな中読み進めるうちに、引き込まれていったと。いや、これは慣れたのかもしれない。暗いキツい汚い過酷な環境にも兵士が慣れていくように、読者の僕らも慣れていったんじゃないかと思う。
 読書体験に過ぎない僕らはPTSDにみまわれないだろう。果たしてこの本に、ウクライナに、多くの紛争を抱える世界に、・・慣れていいものなのか?そんな疑問が湧きつつ、やれやれ、また今日も平凡な一日が終わろうとしている。

─ 文・竹本 茂貴 ─