2020年7月

2020年7月4日
第170回課題図書:「ペスト」 アルベール・カミュ

昨今の新型コロナウイルスの影響で、赤メガネの会もオンラインで開催しています。それぞれ物理的距離は遠いけれど、変わらず白熱した議論が繰り広げられるのが我々の良いところ。画面越しの議論は少し寂しいですが、馴染みの仲間と語り合えるのは、心と頭の栄養になります。世情変われど、読書愛は不変でいたいと思う今日この頃です。

さて、今回の課題図書「ペスト」は、やはり赤メガネの会としては読んでおかなければならなかった一冊。天才と言われるカミュの預言書とも言われている本書ですが、疫病パンデミック小説と思って読むことなかれ。さすがは不条理の申し子カミュの作品、なかなかの難読書…。読了に苦労したメンバーが数名おりましたが、今のこのコロナ禍だからこそ、消化・理解できた点は多いでしょう。難しい本ではありますが、過酷状況の環境下で人はどう考え、行動するのか。平凡にいきなり訪れた非凡に人はどう立ち向かうのか。物語の人物たちの行動心理、行動原理、信念なども楽しみポイントの一つかもしれません。

〇本書のテーマ「不条理」について

不条理とは、道理の通らないこと、説明が付かないもの、事柄をいいます。本書では、疫病ペストがオラン市で大流行し、多くの人が命を落としてしまいます。この苦痛・危機的状況は病だけでなく、戦争も同じです。戦争は、多くの命を奪います。そしてその不条理は、不条理として納得するのは難しいです。

本会において、世界大戦を経験したカミュは、なぜ戦争をペストに置き換えて不条理を描いたのか?という疑問が上がりました。たしかに、不条理を描くならダイレクトに戦争をテーマにしてもよかったのかもしれません。しかし、戦争では敵(敵国)が出てきてしまい、政治的要素を組み入れるとどうも理屈っぽい。戦争が勃発した原因をどうしても探してしまう。なぜ戦争で命を落とさなければならなかったのか、納得する/できる理由が必要になるのです。つまり、その不条理自体にスポットが当たり、人の心が生きてこない。不条理の元、自分にできることを真っ当した医師リウー。この不条理は神からの罰だと理由付けする神父パヌルー。街が閉鎖されてしまい、脱出を試みる記者ランベール。それぞれの立ち位置、想いが見事に描かれています。「ペスト」は不条理と戦う人々を追ったヒューマンネイチャー小説なのです。

〇条理が不条理に変わるとき

パヌルー神父は、「ペストは神の罰」と説きました。ペストに感染するのは、神への祈りが足りないからだと。しかし、ペストは収束するどころか、感染者は増す一方。パヌルーは、聖職者として保健隊に入り活動していた時、ペストに感染した子供を見て、この子はなぜ疫病で苦しんでいるのか疑問を持つようになります。この子は罰を受けるようなことをしたのか。祈りが届けば、この子は助かるべきではないのか。神様信じてたのに…。なんという不条理…。

不条理極まりない状況に信仰心が揺らぐくだりは、遠藤周作「沈黙」のパードレを彷彿させます。「沈黙」は以前、赤メガネの会でも課題図書になりました。合わせて読みたい名作です。

世の中は、納得できない不条理なことだらけ。不条理はいつやってくるかわからない。それでも生きていく。カミュの「ペスト」は、Withコロナという新しい時代を生きていく私たちへの応援ブックなのかもしれませんね。

― 文・水野 僚子 ―


2020年7月25日
第171回課題図書:「稲生物怪録」京極夏彦 東雅夫

まだ涼しかった5月頃の事。日本中の山々を駆け巡り、その地域に伝わる山に関する恐ろしい話をまとめた『山怪』田中康弘著     に夢中になった。肝を冷やせば身体も冷えてくるという話もあることから、じっとりと暑くなった7月に入りあの『山怪』について思い出した。作中では日本の民間伝承を代表する『遠野物語』についても触れられていたことから「日本の民俗学」についてもっと深掘りしたくなり、これらの本を選んだ。個人的には『遠野物語』を読んでみたかったので、投票結果には少し驚き、半ば渋々読み進めていった。

物語は江戸時代中期の広島三次藩の武士である稲生平太郎の屋敷に1ヶ月に渡り怪奇現象が起こるというもの。

三次(みよし)といえば新卒で入社したマツダのテストコースがある事でも有名で、広島在住時には何度か通り過ぎたことのある街だった。

典型的な日本の山村という雰囲気は現代でも健在で、おそらく平太郎の生きていた時代は更に寂しい雰囲気が漂っていたに違いない。そんな山村で毎日のように妖怪と対峙していたら普通の人間ならきっと逃げ出すに違いない。しかしこの平太郎は正面から立ち向かい、最終的には寝るという行為で全て無かった事にしてしまうのだ。

武士のプライドがそうさせるのか、はたまた彼の生まれ持った性格がそうさせるのかは分からないが「死ぬ事以外は擦り傷」と言っても過言ではない彼の行動は小心者の僕にとっては羨ましくも感じた。また、勝手に動き出す臼や箒を気味が悪いと思わずに「家事の手間が省けてよろしい」と受け入れる姿は、コロナ禍で思うような生活が送れずに鬱憤をためる私達に「ジタバタせずに流れに身を任せて生きなさい」というアドバイスをくれているようにも感じ「平太郎の物事の流し方が人生のヒントとなった」と語るメンバーも見受けられた。また『稲生物怪録』と題名だけを読むと僕も含めて、何かおどろおどろしい物語を連想するメンバーも多くいたが、蓋を開けてみると、少しくすっと笑えるようなコミカルな展開で驚いた。まるで歌舞伎の演劇を観ているように感じたと語るメンバーもいた。妖怪とは人間の心の弱さ、悩みを具現化した存在であり、平太郎は身体を張って全てを乗り越えてきた。もしかするとストレス社会を生きる現代人の模倣となるかもしれない。

― 文・ 岡崎心太朗 ―