2024年4月

第232回
2024年4月3日
課題図書「台湾漫遊鉄道のふたり」楊双子(よう・ふたご)著 三浦裕子訳

優れた翻訳作品に贈られる『日本翻訳大賞』。第10回目になる今年の二次選考対象作品(※その後、3月24日時点で本作品は最終選考作品5作品に残った。大賞の発表は5月)を読んでみよう! ということで今回の赤メガネ課題図書はこちら。

 

 昭和レトロな装丁。モガ風の装いの日本人女性と、詰襟で丈の長い、スリットの入った長衫(チョンサン)を着た台湾女性とおぼしき女性が向き合っている。本の帯には「炒米粉、魯肉飯、冬瓜茶……あなたとなら何十杯でも 結婚から逃げる日本人作家、千鶴子は台湾人通訳千鶴と”心の傷”を連れて、1938年、台湾縦貫鉄道の旅に出る」の文字が踊る。紀行文学好き、ローカルフード本好きの人には、読み出す前からたまらなくそそられるキーワードが散りばめられている。

 

 時代背景を簡単に説明しよう。1937年に起きた盧溝橋事件によって日本政府が国民精神総動員運動を発令し、国民の戦意高揚に力を入れ始めた頃が舞台。明治以来進められていた日本の植民地政策で台湾が領土として加わったのは、1895年。日清戦争で勝利した日本は清朝から台湾を割譲され、以来台湾は1945年まで日本統治下に置かれていた。

 

 人気作家千鶴子は、台湾総督府と現地の婦人団体の招きで、台湾に講演旅行に訪れる。長崎の実家では結婚をせっつかれてばかりで窮屈な思いをしていた千鶴子には、台湾は開放感あふれ、美味しそうな食べ物の屋台が並ぶ南国のパラダイスにみえた。

 その通訳兼秘書として現れたのが、4歳年下の王千鶴。千鶴は公学校(国語(日本語)を常用しない本島人(台湾人)向けに設置された学校)の国語の教師をしていた。日本語のうまさはもちろんのこと、資料の蒐集から旅行の手配まで秘書業務を完璧にこなす。日本文化のみならず、本島人(台湾人)の各集団の歴史や文化に造詣が深く、フランス語も少し話せるらしい。きわめつけが、プロ並みの料理の腕前と千鶴子に負けない食いっぷりのよさ。しかし、その出自についてはみずから多くを語らない。千鶴子はすっかり千鶴が気に入り、できるだけ共に時間を過ごしたがる。千鶴はそつなく、楽しそうに千鶴子の相手をするが、どこかで千鶴子に距離を置き、決して本心を外に出さない。その理由に千鶴子がようやく気づいたのは、千鶴が千鶴子の元を去ってからだ。自分の執筆活動と政府の「南進政策」にきっぱり一線を引いていたはずの千鶴子は、思わぬ過ちを犯していた——。

 

 

 主な感想は、以下のとおり。

● 戦争の影が見え隠れするにもかかわらず、もともと日本語で書かれた現代のライトノベルかと思うくらい、文体が軽く、読みやすい(ときに、軽薄すぎるくらい)。

● 「台湾は親日家が多い」といわれる理由を考えながら読んだ。

● まさしくこの鉄道に乗った、自身の台湾旅行体験を重ねながら読んだ。

● 統治側の人間と植民地側の人間が、本音で向き合うのがどんなに難しいことかが鮮やかに描かれていた。

● シスターフッド(女同士の連帯・繋がり)を描いたグルメ紀行かと思って取り組むと、二重・三重のだまし(※これから読む人にはネタバレになるので、詳細は省略)にあい、びっくり(「憤慨した」という声も)。

● 食べ物の描写が多すぎ。千鶴子、食べ過ぎ。千鶴、料理の腕前がすごすぎ。

● 友情には、相手へのリスペクトが必要。

● どれだけ頑張っても超えられない壁の存在に、優位に立つ者は気づかない。

 著者の「楊双子」氏は双子の姉妹作家ユニットとしてのペンネーム。このペンネームで創作活動をしていたが、妹の楊若暉(ヤンルオホイ)が2015年に30歳の若さで亡くなる。その後は、姉の楊若慈(ヤンルオプー)が同じペンネームで執筆活動を続けている。

 

 ここからは、個人的感想。謎めいた千鶴の出自をめぐる精緻な迷宮に千鶴子と一緒にまんまとはまりこんだ。千鶴子が千鶴の真意を知り、ああ、そうだったのか! と悔いる本編ラストまで、一気に運ばれた。久しく日本から出ていないとこのあたりの感覚、気配りが鈍る。すっかり平和ぼけしたものだ、と冷水を浴びせられた。

 偶然とはいえ、千鶴の夢が「翻訳家」であるというのは、本書では前述の「だまし」の重要なキーワードであり、今回の選書主旨にピッタリはまったので、ひとりほくそ笑んだ。

 最後に、著者が日本版あとがきの最後に記していた、まずは台湾に来て食べてみてもらいたいという鹹酥雞(シエンスージー:https://ethnolab.tw/ja/2020/10/taiwanese-fried-chicken/)

がどうにも頭から離れない。やはり、食は文化と歴史の縮図。実際に海を越えて足を運び、人と交わり、五感をフル稼働させるべき価値のあることの最たるものだ。ああ、台湾の夜市で現地の人とこれを食してみたい。

― 文・安納 令奈 ―