2017年8月

2017年8月4日
課題図書:「敦煌」井上靖
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今回課題図書になった作品『敦煌』は、20世紀最大の発見の一つ “敦煌文書”からインスピレーションを受け書かれた歴史ロマン小説である。
私が西夏〈せいか〉文字を初めて見た時、その漢字にも似た繊細なデザイン、解読不可能といわれていた神秘性も含め、強烈な印象を持った。(今では、大分解読が進んでいる。)
この物語の主人公 趙行徳〈ちょう ぎょうとく〉もまた、西夏文字に魅せられ、当時世界で指折りの国際都市“開封〈かいほう〉”から、
はるか遠く砂が支配する“西域〈さいいき〉”へと、数奇な運命を辿ることになる。 この時代は、異民族同士が武力闘争に明け暮れ、大小国家が興廃を繰り返していた。
そのあたりのことを理解してもらうのに適した歴史マップがあったので、ご参考に。

https://www.sekainorekisi.com/my_keywords/%E8%A5%BF%E5%A4%8F/#more-19704

さらにこの小説を読む方にお勧めしたいのは、物語に出てくる5つの国を把握しておくことだ。

【西夏】
チベット系タングート族の首長、李元昊〈り げんこう〉が現在の中国、甘粛省〈かんしゅくしょう〉辺りに建国。
【宋】
漢民族の国。首都は開封。現在の中国、河南省東部一帯を支配。
【遼】
契丹人〈きったんじん〉の王朝。現在の中国、内モンゴルを中心に支配。
【金】
ツングース系の女真族〈じょしんぞく又はじょちょくぞく〉が遼の圧政から独立して建国。
【回鶻〈ウイグル〉】
トルコ系民族、モンゴル高原に勢力を誇った遊牧国家。

それらのこともふまえつつ、肝心のあらすじを。主人公の趙行徳は、都に科挙(=官吏任用試験)の試験を受けに来た超がつく秀才。
寝る間も惜しんで勉学に勤しんだ彼は、ありえない失態により不合格に。行く末が見えなくなった行徳は、街をぶらぶらしていた際、
市場で殺されそうになっていた西夏の女性を助ける。そこで彼は、彼女との別れ際に手渡された小さな布切れに記された文字、
これまで見た事がなかった西夏文字に興味を持つことになる。ニートになってしまった彼は、 そうだ!この文字を知るために“西域”へ行こう!
と成り行き任せで、放浪の旅へ出るのだ。
そこで出会ったのが、 武人の朱王礼〈シュ オウレイ〉。彼は一途で熱い漢の人。(メンバー内でも人気高し!)
もとは宋の国の人間だが、西夏の傭兵として働いている。趙行徳とは、性格も、おそらく見た目も正反対の二人なのだが、何故か気の合う仲に。
男同士の友情に“いいね!”と微笑ましく見ていたら、ここで回鶻王族の美女が登場。何か嫌な予感が…と、
案の定、二人して同じ女性を好きになってしまうのである。さらに朱王礼の上司?西夏の名君、李元昊もまた、彼女に目をつけ、自分のものに…
とうとう彼女は、城壁から投身自殺をしてしまうのである。 朱王礼は、復讐の鬼となり、負け戦とわかりつつも、愛のため李元昊に反旗を翻す。(部下はいい迷惑のような…)
そして趙行徳は、彼女から貰った揃いの首飾りを胸に、戦火から仏典を守るため、金銀財宝を持ち出すと偽り、
亡国の末裔で砂漠の冷徹な貿易商の頭である尉遅光〈ウツチコウ〉の秘密の洞窟を利用しようとする。仏典とバレたら最後、尉遅光は、容赦なく自分を殺すだろう、まさに命がけの作戦だった。
時は流れ、900年後の20世紀。中国人の道士が、ひょんなことから洞窟に隠されていた仏典を見つける。
その後イギリスやフランスの探検家などが噂を聞きつけ、(どうして伝わったのかすごい気になる)それらを買取り、自国で発表。
世界はその学術的価値の高さに驚嘆することになる。
(漢語仏典、他にサンスクリット語、チベット語、モンゴル語、西夏語、ゾクド語、クチャ語など様々な言語の仏典が見つかった。ちなみに“敦煌学”は、この資料を研究する新しい学問のこと。)

読了後のメンバーの感想は、「史実をもとにフィクションを織り交ぜ、その境目が見えない。さすがだと思った。」「本当にこれらがよく残った、まさに奇跡だと思う。」
「書物の大切さ、『華氏451』を思い出した。」「昔読んだときは分からなかったが、今読むと、面白い。しみじみとくる。」「時代背景や、地理関係が思い描くのが大変だった。」
「普段見慣れない漢字が出てくる。習うより慣れろの精神で読んだ。」というものだった。
また、NHKシルクロードの番組や、同名で映画化もされているので、そちらも是非見てみたい。趙行徳(佐藤浩市)/ 朱王礼(西田敏行)/ 李元昊(渡瀬恒彦)1988年の作品だからみんな若い!
この巻物が見つかった洞窟、莫高窟〈バッコウクツ〉は、今や世界遺産となっている。

さてさて、回鶻の王族の美女が、本当は誰を思っていたのか、何故身を投げたのか、理由は描かれてはいない。
遠い砂漠の地に、誇り高く生きた人々の儚さは、西域へのロマンと憧れをさらに強くするものとなった。
趙行徳のように、いつの日か、月光砂漠を駱駝にゆられ旅してみたいものだ。

はせがわ


2017年8月26日
課題図書:「ダロウェイ夫人」バージニア・ウルフ
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心地よい微風がどこからか吹いてきて一瞬のあいだ私をつつみ、どこかへと吹き抜けていく。
周りの風景や人々の歓喜に呼び起こされた思いもまた、その風にのって運び去られていく。
ウルフはその風の使い手か、はたまたウルフ自身がその風なのか。
今回の課題図書は、バージニア・ウルフが1925に刊行した『ダロウェイ夫人』だ。舞台は1922年のイギリス・ロンドン。

6月のある晴れた日、その夜に催す夜会の準備のため、馴染みの花屋へ花を買いに出かけた下院議員リチャード・ダロウェイ氏の妻クラリッサが、
一日の間に目にし、耳にしたさまざまな出来事から想起する少女時代の思い出や胸に去来する想いを綴った名作だ。
「だってルーシーは忙しいもの」そうつぶやいてドアを開けながら、娘時代に勢いよく開いたあのフランス窓を思いだし、
「とにかく戦争は終わった。…踊りながら歩くサンドイッチマンに、プラスバンドと手回しオルガンに、頭上を飛ぶ飛行機の得意げな甲高い奇妙な唸りに、わたしの愛するものがある。生と、ロンドンとこの六月の一瞬がある。」とみずみずしく唄ったと思えば、通りを渡ろうとして少し待ったとき、
「なんだか雑念に動かされてばかり。…車道に下りながら、ああ、この人生をやり直せたら、…この外見だって変えられたら。
まず、レディ・ベクスバラみたいに浅黒くなりたい。」と思ったり、まるで正反対の気持ちが行ったり来たりととにかく忙しい52歳なのだ。
夫リチャードと結婚したことを「正解」としながらも、一方で結婚したかったピーターへの思いも絶ち切れない。
そんなピーターが、クラリッサが買い物から帰ると、思いがけなく訪れていた。ピーターもクラリッサへの想いにあふれながら、
「ずいぶん老けたな。あんな平凡な男と結婚するからだ」と思いながら、その一方で万感胸に迫り、突然泣き崩れたりと矛盾だらけの行動なのだ。
クラリッサが彼の膝をやさしくたたいて慰めながら、ふたりの間に何事が起きるでもなく、淡々と夜会に向けての時が流れていく。
その展開に、メンバーからは「何が言いたいのかわからない」、「突然泣いたりしてわけがわからない」、「立って読んでいても寝てしまった」などの感想が相次いだ。
しかし、「読みやすかった。すーっと読んでしまった。ピーターがいなかったら、この話は面白くないと思う」という意見もあった。
そうなのだ。文章はとっても読みやすい。若いころはひとりひとり、その体からまだ若く柔らかい枝葉が、未来に向けてどこまでも伸びようとしているが、
次第に周囲とからまりあい、かたくほどけなくなってしまう。物語は第一次世界大戦が終わって間もないイギリス。
解放されながらもどこか暗い雰囲気を残す時代の空気を、主人公のクラリッサの独白だけでなく、恋人のピーターや夫のリチャード、
夜会に招待する客人や街に往来する人々までまきこんだ「意識の流れ」によって、ウルフはみごとに描きだしている。

物語にはもうひとり、重要人物がいる。従軍し、戦争神経症にかかって帰還した若い男性セプティマスだ。
妻のルクレーツィアは、「なんで私だけこんな目に」と正気を失った夫とともに通院を繰り返すが、
クラリッサの夜会の日に医師に追い詰められたセプティマスは窓から飛び降りて自殺してしまう。
そのニュースを夜会に訪れた客の一人から聞いたクラリッサは、その見ず知らずの<自殺した青年をとても近しく>感じる。夜会の合間の一時の休息。
「あなたはやりおおせたのね」とその青年に美を感じる、自室でのクラリッサの独白がこの物語のクライマックスだ。

「何を読んでいるの」と職場の同僚がのぞきこんだ。説明すると、「わかる~。私の95%、ほとんどがそれだもの」という言葉が返ってきた。
すらりとした姿勢のいい華奢な姿、いつも笑みを浮かべて、くるくるとよく動く瞳。「あ、クラリッサだ」と思った。年など考えたこともなかったが、おそらく年齢も近いのだろう。
40代と50代では決定的な違いがひとつある。
40代までは、「今これをしたら自分の将来が変わるかもしれない」と期待することがあるのに対して、50代ではそれがほとんどないということだ。
<自分が透明になったような奇妙な感覚にとらわれた。見えず、知られず、もう結婚することもなく、子を生むこともない。なんだか厳かな行進にまじり、ついていくだけ>とクラリッサがつぶやいているように。
でもそのかわりに、背中に小さな羽が生えてきているように感じる。時折その羽で舞い上がり、バードアイのごとく世の中を、自分の来し方行く末を鳥瞰できる。
その羽がどんどん伸びて翼となり、高く舞い上がって地上に降りてこなくなるときが、すべての人にやってくるのだろう。
若い頃、人生に息まく私たちの傍らで、「その年齢にならなければわからないことがあるのよね」と諭すでもなく、独り言のように話していた恩師の姿も思いだした。

『ダロウェイ夫人』はやはり名作だ。それぞれの年代の人にそれぞれの感じ方をさせてくれる。
クラリッサと同じ年になったとき、またメンバーで再読したらきっと面白い。その時、私は地上にはいないかもしれないと思うとちょっと残念だけれど。
あ、それから40代まではできないけれど、50代になってからできることも発見したように思う。でもそれは今は言わないで、クラリッサにだけ、そっと耳打ちすることにしようか。