2019年11月

2019年11月8日
課題図書:「ノックの音が」星新一
0451C601-0FDA-41E4-A6F8-33EDE635A6F7

今回の課題図書は、初めて読んだメンバーもいた星新一さんの「ノックの音が」。
本作は15篇のショートストーリーから成る一冊。すべての物語が「ノックの音がした。」から始まります。ノックの音がするということは、舞台はすべて室内。ソリッドシチュエーションで展開される様々な物語にニヤッとしたり、時にはいい意味で期待を裏切られたり。

15篇もあるので、参加メンバーでお気に入りショート投票を行いました。結果はこのような感じに。
「人形」(3票)
「金色のピン」(2票)
「しなやかな手」(2票)
「現代の人生」(1票)
「和解の神」(1票)
「華やかな部屋」(1票)

しかし、多種多様の本を読んできているメンバーには、物足りなさを感じた人も。スピーディに読んでスピーディに内容を忘れてしまった人も。そのため、議論はあまり白熱せず…でもそこであきらめないのが赤メガネの会。あとがきに書いてあることについて話し合ってみたり、ノックするという行為について話してみたり。本自体からは少し脱線した部分も多かったですが、メンバーの好きなジャンルや求める読書スタイルを改めて知ることが出来た会でした。

赤メガネの会史上、作品スタイルを踏襲するかのように最もショートショートな開催レポートとなりますこと、どうぞお許しを。

― 文・水野 僚子 ―


2019年11月29日
課題図書:「ドン・フアン(本人が語る)」ペーター・ハントケ

初代ドン・ファンはスペイン南部アンダルシア地方の都市、セビージャの男だ。色事師という如何わしい通り名が持つ印象と共に、虚実共々、紀州和歌山を筆頭に世界中に彼のフォロワーがいるようだ。
ドン・ファンに対してと同様、僕にこれといった知見はないけど、情熱の空気を纏って聞こえるカルメンもセビージャの女だし、(知らない人は是非ググって欲しい)セルヒオ・ラモスというスペイン代表のサッカー選手はやはりセビージャの出身で、”いかにも”って容貌をしている。
極め付けは僕の知人女性による分析だ。彼女はスペイン語に堪能で、某自動車会社でその能力を活かして働いている。”本場”スペインでドン・ファンはどう捉えられてるのか相談したところ、答えがあまりに面白かったので、許可を得てほぼそのまま転載させてもらう。
—-
ピカソもマラガ出身の女好き、ドン・キホーテは老体でもお姫様を想う辺りは多分女好き、で、その彼を創りよった作家セルバンテスも、勝手に女好きと推定。
知り合いでいうなら、私の友達の旦那はセビージャの人だけど、結婚後、なんの悪気もなく「僕も彼女を作るから、君も作りなさい。」と言った程のチャラ男。そして昔勤めていたフラメンコの会社のアーティスト男は、全員が全員「日本には奥さんいないから」と、浮気を正当化していたので、少ない分母だけどスペイン南部男は女好きであると改めて認定!!
—-
正直、ハントケより面白い。
…が、ハントケ版ドン・ファンの考察を始めたい。(今からかよ!って言わないでね)
※ここからは、翻訳本の表記にならい、ドン・フンとさせていただく。

今回のみんなの感想を乱暴に一括りにすると、「意味がわからない」なんだと思う。読後の感想は、面白いか面白くないか、の他に解らないというのもあるんだね。この本がそれ。感想よりも、「なぜわからないのか?」って事に対する解釈や分析がたくさん述べられていたくらい。翻訳だったり、白人文化への教養だったり、みんな色んな壁にぶつかって、諦めたり怒ったりしてたみたいだ。
メンバーの1人若き舞台俳優は、尊敬するという演出家の言葉を引いて、「前提知識を必要とする本(脚本?)はダメだ」と、間接的にノーベル賞作家をぶった斬っていた。まぁオレもそう思うけどね。

ようし!では、その前提知識、これまたメンバーの1人シックスパックを目指す老練な少年が評した「この本を読む資格」に、チャレンジしてみよう! そう決意し、1回目の推定3倍(当社比)の時間をかけて、読み直してみた。

精読ってのはこういうことなのかな、単語一つ一つを疎かにせず、全てWikipediaやWeblioと首っ引きで、読み進めた。

迂闊この上ないことに、のっけから「ポール・ロワイヤル・デ・シャン」という舞台を読み流していた。ここには恐らく色々な意味がある。そこはかつてジャンセニスムという思想を擁して、保守的カトリックと激しく争った修道院の跡地だ。その思想は、善かろうが悪かろうが人間の自由意志など微力で、神の恩寵なくしては救われない、とする虚無的ともいえるもの。これは本人の意志とは無関係に、男女の区別なく、もっというなら動物や植物までが魅入られるドン・フアン、彼が現れる場として予定されていたかのようだ。
さらに作者ハントケの政治的な意図も込められている。作中、5月である事が再三述べられているが、1999年コソボ紛争の終盤にNATO空爆が再開された時期としての設定だ。パリ近郊のランブイエで合意された直後の空爆で、ハントケは終始、それを批判している。更に、作中にも登場するイル・ド・フランス、つまりポール・ロワイヤルの近所にあるヴィラクブレー空軍基地はフランス軍とNATO軍が共用する基地だ。

…と、いちいちこんな事を調べつつ読んだのだけど、とても全部書ききれないので、ここは屈託なく端折らせて貰うとする。
そして僕に何が起きたかといえば、掴み所のなかった物語に引っかかるトコができた。引用や暗喩が解ってくるにつれて、漁色、放蕩の記号としてのドン・フアンを、ハントケがどう描きたかったかに近づけた気がする。不義とされる行為も、その当人だけの問題ではない、と、そんなメッセージを感じている。

従来とは異なるドン・フアン。哀しみを湛えるドン・フアン。確信はないけど、ハントケはミロシェビッチを投影していたのかも知れない。作中、旅先で女性を魅惑してきたドン・フアンも時間が経つにつれて、憎まれたりする事が増える。ミロシェビッチの人生に似てるように思えた。
そして、この本が出版された2006年、アメリカ的評価において悪人とされる元ユーゴスラビアの大統領は、獄中で死亡している。

今回はレポートではなくなってしまいましたね。勝手な解釈をつらつらと書いて反省してますが、これも僕の自由意志ではないかも知れないです。あと、これはこれで面白かったけど、やっぱり調べ物など必要ない本が楽しいっすね。

― 文・竹本 茂貴 ―