2018年8月

2018年8月11日
課題図書:「嵐が丘」エミリー・ブロンテ
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「世界の三大悲劇のひとつ」と聞いて、気になっていた作品。(ちなみにその他2つは、「リア王」と「白鯨」だそうで)「三大〇〇!」という言葉って、魅力があります。しかし、ごめんなさい。この選書理由は、実は表向き。大好きな漫画「ガラスの仮面」の劇中劇として「嵐が丘」を知り、いつか読もう!と思っていたのが、きっかけでした。小学生からの夢が叶いました。読書会の皆様に感謝です。(余談ですが、漫画の中では、主人公北島マヤがキャサリンの少女時代を演じ、絶賛される一方。目立ち過ぎるが故に、その後、舞台荒らしと呼ばれるようになるのですが。。。ガラスの仮面については、またの機会に?)

「嵐が丘」は、 1847 年イギリス出身のエミリー・ブロンテが発表した最初で最後の作品。 29 歳の時に男性名義で出版。翌年、風邪をこじらせ 30 歳で早逝。自身の人生も、ドラマチックな作家だったことに驚き。さらに、姉は、「ジェーン・エア」の作者、シャーロット。妹も「アグネスグレイ」や「ワイルドフェルホール」の作者、アン。そんなスーパーシスターズは、牧師さんの娘さんだったそうで。調べれば調べるほど、興味が尽きません。

ストーリーは、嵐が丘のお屋敷を舞台に、屋敷の主人に拾われたヒースクリフとお嬢様キャサリンの少年少女時代から、お互いに結ばれることのない運命、別の人との間に生まれた子供達の話まで。主に、家政婦ネリーの「回想」の形を借りて、語られていきます。

不朽の名作。恋愛小説の決定版。世界の十大小説のひとつ。現在いろんな評価がありますが、今回の参加メンバー10人も。再読のメンバー。映画を見たメンバー。漫画ガラスの仮面から入ったメンバー。入り口は色々。 700 ページというボリュームもありますが、大方、読み易かったという感想が多いのが印象的でした。しかし!旧訳で読み始めたメンバーは、「よござんす」「平気の平左」など、訳が違うだけで、こうも違うのかと(笑)時代によって加圧がありますので、手に取る時は、ご注意を。

寸評では「昔読んだ時は暗くて落ち込んだが、今回はめちゃくちゃ楽しかった」「昼ドラみたい」「ワイドショーみたい」「登場人物が屈折し過ぎ」「海外では国語の教科書や、映画の本棚にも登場する」「キャラクターはボクシング協会の山根会長に通じるものがある」「全員ピュア(世間知らず)」「コメディ要素もあるのが面白い」などなど。

今でこそ「名作」といわれる「嵐が丘」ですが、出版当時、批判の嵐だったというのも、この本の魅力かもしれません。語りが切替わる「構成の複雑さ」も今読めば、面白く。「リアル家政婦は見た」「人の不幸は蜜の味」「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つける?」思わずタイトルをつけたくなる内容。ワイドショー的なキャラは、現代にも通じる役者っぷり。「ははぁ~と奉り敬う」よりは、登場人物のゆがみや、ゲスっぷりを楽しむのも、一興かと。

「ヒースクリフと結婚しなかった理由?」「ヒースクリフが嵐が丘に戻ってきた目的?」「そもそも二人の関係は、恋愛なのか。」物語の核心については、様々な意見が。
当時の家柄では仕方なかったのではないか。肌の色もあったのではないか。二つの家を壊すためか。復讐か。彼女を取り戻したいという絶対的な愛か。。。
二人の関係を物語るキーワードとしてピックアップしたいのが、前半キャサリンの告白。「ヒースクリフは、私以上に私(p.169)」結婚を超えた愛があるのだとしたら、復讐の先に、神の見えざる手が働いたのではないか。赦しの話なのではないか。という意見にも、一同納得でした。(作者のクリスチャンとしての背景も、作品に関係がありそうです)

エミリー・ブロンテの死後、時代を超えて愛され続ける「嵐が丘」。
今も、世界のどこか(荒野)で、彷徨っている「キャサリン」と「ヒースクリフ」の魂は、少年少女時代から切望した「2人だけの世界」きっと、幸せなのではないでしょうか。そして、 また100年後、200年後、新しい時代にも、「わぁ昼ドラみたい」と、その時代の解釈で、語られることになりそうです。荒涼とした「嵐が丘」を想像する読者がいる限り。


2018年8月31日
課題図書:「エロ事師たち」野坂昭如
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 明治以来の近代日本文学史上に、かつて一度も現れたことのなかった突然変形の畸形児のごとき型破りな小説家。猥雑きわまりない現実を、同じく猥雑きわまりない措辞と語法によって描き出しつつ、しかもその表現のたった一行とても、下品であったり野卑であったりすることのない不思議な文章家。男女のからみ合うベッド・シーンばかりを書きたがる当節の通俗流行作家とは全く反対に、ひたすら観念のエロティシズム、欠如体としてのエロティシズムにのみ没頭する一種独特な性の探求家。(文庫本エロ事師たち 澁澤龍彦の解説より)
 今回の課題図書は、エロティシズムの巨人がここまで絶賛する野坂昭如の1966年の発表(初稿は1963年発表)の処女作「エロ事師たち」。エロ事(エロ写真、ブルーフィルム【今でいうアダルトビデオ】の企画制作、売春婦の斡旋、乱行パーティの開催など…)に従事する主人公スブやんを取り巻く家族、同業者、お顧客(おとくい)の人間模様を、作者独特のアイロニーをもって、これでもかというくらい鮮やかに描かれた純文学史上の傑作であり怪作です。
赤メガネの会のメンバーの感想の一部を抜粋すると、
・独特な文体と関西弁のリズムで、一度ハマると読みやすかった
・エロを生業にする人は普段は嫌いだが、登場した男性のキャラクターが立っているため、なんだか許せてきた
・読んでいてドキドキした
・とても人間臭い物語
・スブやんたちが斡旋するエロは非合法だが、本当の意味での悪ではないのではないか
・昭和臭がプンプンと感じられた
・スブやんが仕事に一生懸命なところに、胸キュン
・スブやん格好いい ・石川啄木の歌からの引用を連想させるような描写があり、作品とどのような関連性があるのだろうかと思いを馳せた
・“洋服屋はエロい”の部分で笑った(注)「ネクタイ背広ダブルカフスのその一枚剥いだ下は、まるっきりセックスのかたまりといってよかった。(P28~P29)」
そのような格好をする男性が赤メガネの会のメンバーにいるのと「洋服屋気のせいか助平たらしく頬をゆるめ(P95)」の合わせ技でより印象的になったのかもしれません。今回参加最年少のメンバーは、エロ用語がトルコ以外ほぼわからなかったので、その都度調べた(大変勉強熱心でよろしいことです)
女性メンバーから意外に高評価…
 さて、皆さんは小説を手にする時、著者の生い立ちやパーソナリティを、既知のものとして読み始めるか否か。どちらがお好みでしょうか?どちらにも良さがあることでしょう。知ってしまったがために、純粋に作品の良さに浸ることができなかったなんて経験もあることと思います。知らなかった方がよかった例として、こんな気難しい性格の著者だったのか…とんでもないクズ野郎だな…作品のイメージの顔じゃなかった…枚挙にいとまがないことでしょう。
 しかし私見では、ある程度の知識を持ち合わせて作品を読むことが好きです。
 そして今回課題図書で取り上げた「エロ事師たち」をはじめ、野坂昭如の作品のどれもが、氏の事を知れば知るほど、さらに楽しめること請け合いです。それを彼は望んでいたのではないかとすら思えます。
 この『エロ事師たち』の一見、荒唐無稽に思える登場人物の行動や心情は、贖罪の気持ちや告白を彼らに仮託し描いているのではないかと感じられます。
 スブやんと義理の娘、恵子はなぜ近親相姦(厳密には血は繋がっていないので違いますが)未遂を起こしたのか?カキヤはなぜ母は死んだと嘘をついていたのか?美少年のカボーがなぜ生身の女性には魅力を感じず、ダッチワイフには惹かれたのか?などの少しわかりにくい箇所の解決に役立ち、さらに作品の深い部分を読み取れるのではないでしょうか。
 ここに野坂氏のことを全て書くにはあまりに余白が少ないので、一つだけ記しておおきます。戦後間も無く、全ての原因ではないにせよ、自らの身勝手で幼くして栄養失調で死なせてしまった彼の妹(お互いが養子、養女なので血の繋がりはないですが)の名前が恵子なのです。
 亡き妹へ果たせなかった愛の形を、スブやんと恵子の関係に昇華させたのではないでしょうか。そして「エロ事師たち」発表のその翌年には、直木賞受賞作の「火垂るの墓」が発表されたことを考えても、それは難しい解釈ではないように思えます。また石川啄木の歌を引用したのも、どこかで過去の妹に対しての自らの身勝手さと、啄木を重ね合わせて執筆していたのではないかと考えるのは深読みし過ぎでしょうか?
 来夏には昭和がさらに遠くなる、平成最後の夏。終戦記念日を挟んで、野坂昭如の作品を読んだのも、何か因縁めいたものを感じずにはいられず、エロ事を描きながらいろいろなことを深く考えさせる彼の魅力から暫く離れられそうにありません。