2021年3月

2021年3月14日
第182回課題図書:「ファイト・クラブ」チャック・パラニューク

眠れないから苦しいのか、苦しいから眠れないのか。

人間の三大欲求「食欲・睡眠欲・性欲」。
その三つの欲はいつでも勝手に動いてくれるわけじゃなく、欲求が働くためにはそもそもメンタルの状態が大きく関わっている。
メンタルがしんどい時、食べる気は起きないし、眠ることもできず、性欲を働かせる気もおきない。だから人が生きるには、モノとしての栄養だけじゃなく、もしかしたらそれ以上にモノじゃない栄養、心の栄養が大事なのかもしれない。
心の栄養が足りず、苦しんでしまうことは、去年からのこの社会状況ですごく顕著になったように感じる。
病気それ自体の苦しみ、とともに全ての人が当たり前の生活を送れなくなったということが、この病の恐ろしさではないだろうか。人と会い、ふれあうことが難しくなり、それをオンラインの技術でなんとか補おうとしてるけど、それでも実際に会えることと比べると、何だか物足りない。この赤メガネの会のオンライン読書会においても、やっぱりあの同じ部屋で笑いながら話し合う楽しさにはかなわないと思う(それでもこうやってオンラインで続けられることはとてもありがたいけれど)。

今回の課題本「ファイト・クラブ」は、もしかしたらそういう心の栄養を得られない人の苦しみと欲望を描いた作品なのかもしれない。

「ファイト・クラブ」というタイトルを聞くと、1996年に発表されたチャック・パラニュークによる小説より、1999年に公開されたデヴィッド・フィンチャー監督の映画の方を思い浮かべる人の方が多いかもしれない。

主人公の”ぼく”は自動車会社のリコールの調査で全米をまわる仕事をしている。それなりの給料を得て、それなりの部屋に住み、不自由のない暮らしをしているが、一方で心は落ち着かず不眠症に悩まされている。精神科に通ううちに知った精巣がん患者互助グループの集いを見学し、そこで話し、抱き合い、泣けば、ぐっすり眠れることに気づく。そこから様々な病気患者の集いに病気を装って出席することにやみつきになるが、同じように偽って出席するマーラと出会い、再び不眠症に悩まされる。そんな中、出張先でタイラー・ダーデンという男に出会う。石鹸を売り、映写技師やホテルのウェイターとして働く彼は”ぼく”とは正反対の生き方をしている。そんな彼に「おれを殴ってくれ」と頼まれ、殴り殴られることにこれまでにない充実感を覚え、そのやりとりがやがてファイト・クラブという集いとなり、その素手で殴り合う目的のクラブにはどんどんと参加者が増えていく。だがいつの間にか巨大化したクラブはタイラーと共にその目的を変えていく。

読書会の参加者では映画を見ていない方が多く、小説の感想はとても両極端だった。
「”ぼく”の思考がそのまま文章になっているような暴力的で乱暴な文章」で物語は構成されていて、それゆえに「読みづらい、わかりにくい、面白いと思えない」という意見があがり、暴力描写の多さもかなり読む人を選ぶように思える。その暴力ということに関連して、これまでに喧嘩沙汰で3度入院したことがある、という想像できないようなびっくりする話も上がった。

一方で物語の2/3を過ぎてから、実はタイラー・ダーデンは”ぼく”の眠っている間の”ぼく”であり、多重人格だったと判明する。そこからの話には、「引き込まれ、面白い」という声も多かった。そこでようやくそれまでの謎が明らかになるのだが、まぁやっぱり全体として見ると、とっつきづらい文章(ただ、この文章の独創性を面白いという方もいた)や暴力描写に、すごく人を選んでしまう本だなぁと感じる。ある種のカルト本のようなものかもしれない。

でも暴力に満ちた本の中で現代社会に生きる人間の悩みが描かれており、それが主題なのではないかという意見もあった。
「人生が山だとしたら、どんどん登ってこれから下る人(前半生)の悩み、アメリカ社会特有の悩みを描いてる。」
「人に遠慮して本当の自分を見失ってる時にこの本は刺さる。いつか死ぬ、というキーワードを読んで今自分に何ができるだろうかと思った。」
「何かに抑圧されてるのを破りたい人が読むとすごく面白いんじゃないか。」
また、主人公は厳格な父親の影響を受けて、父親の言うことを守って育ったくだりがあり、そこからアメリカの宗教観も見えてきた。
「アメリカの宗教観は神の存在があり、その神の原型は父(縛っていく存在)である。人には破壊衝動が備わっていて、父の呪縛から逃れる=神を破壊する。ファイト・クラブにおいては、現在における神の存在は価値がなくなったと取れるのではない。」という考察も出た。
ただ、「そのくらいの悩みで、別人格のタイラーが生まれてくるなんて都合良くないか。」という意見もあり、やはり賛否両論の課題本となった。

作者であるチャック・パラニュークにとってのデビュー作であり最もよく知られているこの「ファイト・クラブ」は、デビュー作ゆえのむき出しのエネルギーのようなものを持ち、読者に様々な感想を抱かせる作品だということが今回わかった。その中にも確かに人の苦しみという普遍的なテーマが描かれ、なんだか鬱屈してしまう現在と通じ合うような本だったと思う。

最後に。作中に、街中で一般人をけしかけて自分を殴らせることでその一般人もファイト・クラブに取り込む、というくだりがあるのだが、そこから、「同じような手で読書会の参加者を増やすことに使えないかな。」という話があり、分厚い司馬遼太郎全集を持って近づき、それを相手に渡して殴るようけしかける絵が浮かんでしまい、あれで殴られたらただでは済まないけど、それで本当に参加者が増えていったらそれこそカルト的な集会になると思った。できればそんな赤メガネの会にはならないで欲しいと思う。

─ 文・松永 健資 ─