第240回
2024年10月12日
課題図書『インド夜想曲』アントニオ・タブッキ著/須賀敦子訳
夜を思う「夜想曲」になぞらえて、インドの夜を旅する十二の物語。読むうちにどこかから微かなピアノの旋律が聞こえてくる。それはタブッキの記す文字が奏でる幻聴にすぎないのだ、とわかってはいるのだけど…。今回の課題図書は『インド夜想曲』。ポルトガルをこよなく愛したイタリアの作家アントニオ・タフッキ氏による1984年の作品だ。物語はある男性がロンドンで買った地図を片手にインドの地に降り立つところから始まる。タクシーの運転手が止めるのも聞かずに向かった売春宿で、彼はある女性を呼び出す。
「僕に手紙をくれたのは君かい?」
「あなたの住所がジャヴィエルの手帳にあったから」
ジャヴィエルはどこへ行ったのか。病に倒れて病院にいるのか、それとも「ゴアの連中」との仕事上のトラブルにまきこまれて?…なんともミステリアスな始まりに私たちは釘付けになった。しかし、物語のその後の展開は何とも不可解だ。主人公の旅の本来の目的がゴアにある古い図書館での古文書調査と明かされたり、広大なインドをそんな心許ない手がかりで…と思ううちに、読み手は語り手とともに夜のインドを当て土なくさ迷うことになる。「ミステリーかと思ったら、「自分探し」の旅なのか!」
「このラストは、ジャヴィエルに会えたということか?」
面白くてすっと読めたが、どこかキツネにつままれたようだという感想が相次いだ。そうした中で、再読のメンバーから「この小説はストリートピアノのように物語そのものを楽しむことがポイント。その意味するところを突き詰めようとすると分からなくなる」という指摘があった。
また、最後のシーンだけが現実で、それまでのことは全部主人公が書いた小説で、空想の世界の出来事と考えるとつじつまが合うという新しい解釈も現れた。
最後にインドの最高級ホテル・オベロイで、ディナーの相席となった美女クリスティーヌに、いつの間にかジャヴィエルになりかわった主人公が「本を一冊書いている」と述べる、恐らく最も大切なシーンのひとつだ。成る程、面白い。タブッキ氏も瞳を輝かせて「おお!」と言いそうだ。だけど、でも、それでもと再々々読の心がつぶやく「たとえ空想や幻想が混じっていたとしても、主人公がたどった旅は、やはり本当のものだと思いたい」たぶん、人生には大きく二つの道に分かれるのだろう。目的を定め、そのための努力と手段を重ねて前進する人生と、ふとしたことから思わぬ世界に迷いこんでしまう人生と。主人公の場合は明らかに後者だ。一方の人生からすれば、何ともあやふやで「きちんと考えていない」人生に見えるだろう。どこか後ろめたい気持ちにフタをしながら、「これが私の仕事ですから」と生きる毎日に、これから向かおうとする旅先のインドからかつての親友ジャヴィエルが失踪したとの知らせが入る。それは「ジャヴィエルのことを思い出せ」というタブッキからのメッセージではないだろうか。物語の中で印象的だと上がったのは、ゴアに向かう途中のバスの停留所で10時間もの乗継(インドを訪れたことのあるメンバーによると本当にあるらしい)を待つ間に出会った占い師との会話だ。小猿のように小さい占い師を兄を肩にのせた弟が通訳する。「積み上げてきた過去の自分とその成果としての未来の自分、しかし最も大切なのはその間をつなぐ個人のたましいだ」と。それはきっと知識や情報や処世術のようなものではなく、その時には気づかなかったような大切な人との出逢いに支えられているのかもしれない。最後の場面で主人公はジャヴィエルに会えたのかという問いには、「会えたのだ」と答えたい。ジャヴィエルはいつも心の片隅にいて、見えないところから私を支えていたことに気づけたのだから。この旅を終わらせるために主人公が思い付いたちょっとしたいたずらがこころ良い。ジャヴィエルが見つからないのは彼が変名を使っているからだと、思い出の中のあだ名をフロントに尋ねると「その方はおそらくオベロイに」とさりげなく次の宿に最高級ホテルを勧めるあたり、やはりインドでなければ「ジャヴィエル」は見つからなかったのだと気づかされる。
主人公の最後のせりふが印象的だ。「誰しも仕事があります。これで私も生活しているのですから」その「仕事」が放つ響きは、かつてゴアの図書館で口にした「仕事」のそれとは異なる。優れた演者ならきっとそれを演じわけるだろう。『インド夜想曲』は万華鏡にも似ていると思った。回すたびに違う模様が見えて、メンバーそれぞれが描く模様が綺麗だった。その中で、ああこれ!と手を止めた風景があって、目を凝らすとその窓の先に、主人公も見たであろうインドの夜の星空が見えたような気がした。
― 文・Chiro ―