2024年7月

第237回
2024年7月27日
課題図書『うるわしき日々』小島信夫著

理解不能だからこそ心に残っていることがある。
「抱擁家族」、以前課題になったこの小説が、私にとってはそのような本だった。ある時その続編となる「うるわしき日々」というものが存在していることを知った。
小説「抱擁家族」の衝撃が大きかった私は、読むべきか読まざるべきかで葛藤していたが、これこそ課題図書に相応しいんじゃないかと、そして今回こそ、皆で読めば少しは理解できるのではないかと、意気揚々と取り組んだのだった…。

「うるわしき日々」のあらすじを簡単に説明すると、老夫婦が精神を病んでしまった息子に振り回される話である。

息子はもともと軽度の障害を持って生まれたが、自立して生活していた筈だった。
しかし彼の人生はだんだんと歯車が狂い始め、家庭は崩壊。
なんとかアル中からは回復し体は動くが、すでに精神が壊れてしまった彼をどの病院でもずっと入院させてはくれない。
通院の世話をし続けてきたが、もはや家で面倒を見られるほど親自身も若くはなく、主人公の妻(後妻)もまた健忘症の気が出始めているという状態。
閉塞感、絶望感が漂うなか、一体全体何がどのようにうるわしいのか?これは皮肉を込めて付けた題名なのだろうか?

「これってさ全部読む必要があるのかな?」って思ってしまった。
途中でそういう思いに駆られたメンバーが多数、よかった!私もだ。
読売新聞に掲載されていた新聞小説らしいが、きっと毎回ドキュメントのように読んでいくものなのかもしれない。
これを一気に読むのは疲れる。

おそらくワザと回りくどく描いている。意図して煙に巻くように描いている。
そこですかさず、「老いについてまさにここまで見事に書き上げているものはない」という意見が。
なるほど、なるほど、年を取ると、最初に話していたことが何だったのか忘れてしまう、記憶が短い単位でぶつぶつ途切れる、容量が悪くなり、段取りがスムーズにできなくなる。
そんな老人の頭の中を書いているのかしら!?道理で読みにくいわけだ…自分も老いたらこうなっていくのだろうか?

そして何故か常に一歩引いたところから物事を見ている主人公。
「昭和時代の男性の典型ともいえる」という意見も。何故だろう、
妻や息子を思う主人公の言動一つ一つが、どこかしら芝居じみているような気がする。
閉塞感が漂う中、さほど悲壮感が無いのは、彼らは明日のご飯に困らない生活を送れる資産があるのだろう。

またこの中に、家を建てる話が詳細に描かれている部分がある。
家を建てるのと、人間関係や家族を作り上げていく事に何らかの関係性があるのだろうか?
彼の住む家はとにかくお金がかかっていて、欠陥だらけなのだ。

結果として、ずっと気持ちがすっきりせずに重石を持ちながら、ちょっと置いて一休みできるような話ではなかった。
どっと疲れを感じたが、それを目的として書かれていたとしたら、大成功と言えるかもしれない。

最後に印象的な場面として多く上がっていたのが後ろの方のページで、主人公がコンビニへ行って家へ帰る際の場面だ。
ふと立ち止まった主人公は泣きたくても涙1つこぼすことが出来なかった。将来についてなにか出来るわけでもなく、漠々と立ち尽くすしかない彼の胸の内がこの場面に凝縮されているように思った。
「複雑な方が生きやすい」という主人公の言葉も耳に残る。私小説でもある今回の課題図書、彼はなんだか常に女性にそこはかとない恐怖、理解不能な生き物として描いている。

さて、もう小島氏の小説は暫くは読まなくていいかな、なんて思っていたら、
アメリカンスクールの短編「馬」が格別だから読んでみるようにと言われた。
果たして三度目の正直、彼特有の面白さを私はいつか理解する事が出来るのだろうか?

― 文・ハセマリ ―