2024年8月

第238回
2024年8月24日
課題図書『シラノ・ド・ベルジュラック』エドモン・ロスタン著/渡辺守章訳

赤メガネの会の課題図書は、基本的に開催レポートを担当する人がいくつか候補本を挙げて、その中からメンバーの投票によって作品を決定するシステムになっている。
担当者は毎回、工夫ある選書のテーマを挙げていて(直近だと「カオスな世界に触れたくて」「the 王道!」「実際に起きた昭和のこわい事件をベースにした小説」など)、今では課題図書も200回を超え次の節目へと邁進していて、邁進すればするほど過去の課題図書に重ならない作品を候補にするために皆さん知恵を絞っている。毎度挙がるテーマに、その視点があったかと、関心したり面白かったりする。このテーマ選び、選書選びが担当者の頑張りどころその1である。
そこで、僕の今回のテーマは「海外図書の中で、今、自分一人では読むに至れないけれど読書会でならば完読できそうな作品を取り上げました」。明らかに、ネタ探しに困った末のテーマの感がある。”自分一人では読めなそうな本”ってテーマはもうそれ何選んだって許されてしまうだろっていう万能感もある。過去のテーマと比べるとお粗末だったなぁと反省する気持ちが芽生えた。が、メンバーの皆さんからは課題図書に対して豊かな感想をたくさん頂くことができた。

候補の中から選ばれた「シラノ・ド・ベルジュラック」(以下シラノ)は、19世紀末にエドモン・ロスタンによって書かれた戯曲で17世紀フランスを舞台にしたお話。20世紀以降何度も映画化されていて、そっちで知っている方が多いように思う。
ちなみに赤メガネの会の課題図書で戯曲を扱うのは今回で6度目(過去の5回は「オイディプス/アンティゴネ」「かもめ/ワーニャ伯父さん」「オセロー」「出家とその弟子」「人形の家」)。純粋な戯曲を扱うのは小説に比べるとかなりレアだ。ただ過去の課題図書を見ると半分ほどは舞台化がされてるように思う。小説の舞台化の数って純粋な戯曲の上演と同じかそれ以上かもしれない。

シラノの翻訳本はいくつかの出版社から出ており、その中で今回選んだ光文社古典新訳文庫版の大きな特徴は、翻訳者の渡辺守章がこのシラノを演出家として上演し、そののち翻訳の推敲を行ない書籍化した点にあると思う。全400ページ中の半分が脚注と解説に費やされて、その中にはシラノ誕生からシラノ上演以降のフランス演劇、ロスタン自身についての記述だけでなく、翻訳家自身が2001年に演出した際に経験したことを脚注に反映させた、読み方によっては演劇実践書の側面も見えてくるのが他の翻訳に比べて実にユニーク。新翻訳による言葉選びのとっつきやすさもあり、初めてシラノを読むなら実におすすめしやすいと思う。ちなみに個人的に解説を読んでへぇとなったのが、シラノとクリスチャンは同年代として書かれてるというところ。叔父さんと若者くらいのイメージだったので驚いた。

さて、読書会でのお話の中でシラノについて挙がった意見は次の通り。

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『話の筋に特に仕掛けがあるわけではないけど、これは恋愛の話?ってことでいいのだろうか。シラノは詩人、剣豪、学者などめちゃくちゃ色々やってる人で、強そうなシーンは描かれてるけど、あとは詩人みたく言葉を連ねてロクサーヌのところへ行ったり、ただ学者の部分は出てこないし、書かなくてもよくない?って所もあって、詩人でありながら言葉は江戸っ子のリズムで書かれてたりロクサーヌに対しては恋文を書いてる感じに喋ってる。キャラクターが一定してない感じがした。それ故に物語が入って来なかった。すーっと読めたけど入りにくかった。』

『読了できてない。第一幕でおりちゃった。入ってこないし読めなかった。』
(←そう、第一幕はとりわけ難しいと思う…)

『戯曲を読んだりしないし、フランス語や詩のこともわからないが、面白い。騎士道では婦人への愛が思想の一つにあって、その思想は日本の武士道にはないもので、騎士道精神がシラノの基盤になっている。鼻を気にしてるが、本当に好きなら突進すれば良いと思うけど、そうじゃない形で関わる、あれもひとつの愛の貫き方じゃないかと。日本で言えば、寅さんが振られてもマドンナに恋焦がれるそれに似たものを感じた。』

『外見コンプレックスのシラノと学歴コンプレックスのクリスチャン。シラノはでかい鼻という外見コンプレックス以外は全て持ってる男、クリスチャンは美しい外見以外何も持ってない男、この2人のコンプレックスへの戦いによって、悲劇や喜劇が引き起こされる、というふうに読んだ。この時代からルッキズムは変わってないのかなと、進化し続けて現代に至り、イケメンが得をする構図は変わってないと思って、現代に置き換えたドラマになってもイケメンが良い思いをして、人の良い外見コンプレックスを持った男が少し悲しい結末を迎えるようになる気がする。』
(その意見に→→)
『自分もルッキズムを感じた。女性のルッキズムかなと思う。男性は中身を見てっていう、ある意味カタルシスのある話と思うけど、ロクサーヌは綺麗じゃん。なんだか中身を評価された女性がハッピーエンドを迎える作品って少ない気がして。男女で視点も違うと思うけど、結局ロクサーヌが綺麗だからだろうなっていうので、結局物語ってそうなるのかよって思った。』

『ロクサーヌはロマン派の時代の女性なので女性賛美とか女性に対して真心込めた比喩を詰め込んだ詩を貰ってそれを受動的に受け取るのが当たり前の時代に生きてて、クリスチャンが愛してるか好きしか言えないと、ロクサーヌが「つまらない、もっと他にあるでしょ、言葉くれくれ」のムーブをした時に、すごい受け身だと思って、ちょっと傲慢なヒロイン像に見えた。もしロクサーヌがもっと積極性を持った恋愛をするタイプだったらこんな悲劇起きなかったかなとも思って。それらを踏まえて現代風にするならのキャスティングをしてみた。(!)
ロクサーヌ:土屋太鳳(清らかだけど鈍感で周りの気持ちに気づかず振り回すのが上手そう)
シラノ:阿部サダヲかムロツヨシ
クリスチャン:桐谷健太(顔が端正だけど、脳筋みたいなイメージ)
ドギッシュ:要潤か北村一輝(傲慢そうな人がいいと思ってる)
脚本・監督:三谷幸喜。
音楽:斎藤ネコ(椎名林檎と一緒にやったりオーケストレーションもするので、新旧併せて面白い音作りができそう)
美術:横尾忠則か吉田ユニ(目の錯覚を利用したり、場面転換が5幕あるので舞台装置を使い回するのを考えた時に新しい発想できそう)』
(←ヒロインのロクサーヌが魅力的に演じられるかどうかはこの作品を上演する上でひとつ大きなハードルだと思える。そしてシラノというキャラクターの面白さがこの作品が数多く上演されてきた原動力になっているとも思う)

『舞台の情景を思い浮かべつつ読むのが戯曲の場合は難しが、今回の書籍の書かれ方のリズムに慣れるとなんとなく思い浮かぶなという不思議なレイアウトで面白かった。この戯曲の特徴だと翻訳者が言っていたのが”渡り台詞”。読書会を通じて舞台を見にいく機会が増えたことで渡り台詞の仕組みも理解しやすかった。読むと単なる喜劇やコメディではなく深いものが入ってて、最後「心意気だ」で幕が降り、劇的なところがけっこうある。舞台上の作られたお話として大変楽しめた。人は顔じゃない、誠意や真心は人の心を打つんだと。シラノは出世をせず、才能があったのに人に馬鹿にもされ、最後は死んでいくという、だけど最後まで戦ってやるぞ、たった一つだけは渡さない、それが心意気だと。そこは今にも通じるものがあると思った。』

『読み始め、得意じゃないタイプの戯曲が来たかなと思った。この”大袈裟感”に慣れるまでが自分の中で時間がかかった。日本人にない気質の会話が続くから。翻訳家がすごいのかロスタンがすごいのか分からないが、鼻に対しての例え話、漫才のようなやり取りら言葉の羅列のすごさに「ほぉ」ってなった。それとこの要素がフランス文学の好き嫌いに繋がるが、大袈裟感と加えて恋愛の尊さを描こうとするところは私は嫌いじゃない。シラノとクリスチャンにはどっちかを貶めてやろうというところがなく、友情がちゃんと描かれてて、さらに愛情とはこうあるべきではという、ロクサーヌがクリスチャンを想う気持ちや、シラノがロクサーヌを想うところの一途さが良い。外見に惚れた女性がいて、だけどそこを中の方まで見て判断するというふうに段々変わっているトーンがこの本の読みどころの一つではと思った。前にデュマの三銃士を読んだ時、すごく面白かったが、三銃士のダルタニアンが今回出てきて、その騎士道やドン・キホーテの騎士道にも通じてるってところで、騎士道の輪郭が自分の中に見えてきたのが嬉しかった。平安時代に女の人を気になったら和歌を送るという習慣があったけど、シラノでも男が女に手紙を送るっていう。今の日本人はよほど学生時代とかじゃないと貰ってないだろうから、そのロマンティックさが好きだった。』

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メンバーの皆さんの出自によって作品内で注目するポイントが多々あるのが、この読書会の面白さの要素。作品に対する意見や精神性から映像化のキャスティングまで出てくる話題が興味深かった。
皆さんの話を聞いて、”戯曲”という小説とはまた違った読み物を読む上で、台詞以外のト書きが情報を補う上でどんなに有効な文章なのかしらと思う。改めて、小説では当たり前に出てくるト書きが読み手を導く媒体としてすごく力を持つんだなと思ったし、それを極力省いた会話の連なりで構成される戯曲では、その会話の向こうでどんな風に人は話し、聞き、動いているか、その空間そのものを想像しながら読むことも必要だったりして、大変さもあるけど、それが見えてくる時の楽しさもあると、これもまた面白く、人間が作ることができた豊かな文学の一つだと言いたい。

ここで締めていいけれど、話をかなり脱線させる。
この読書会が開かれた一週間後。シラノの公演を観に旅に出た。高速バスで7時間、富山に入り、熱々のサウナと日本有数の天然水の水風呂で癒され、世界一綺麗だと言われるスターバックスにて刻々と近づく台風で大雨にさらされる運河を見ながらフラペチーノを啜り、午後からさらにバスで2時間かけて断崖とかを進み、利賀村という人口800人強の村に着き、一泊2日で4本の芝居を見てテントに泊まる旅だった。人口僅かのこの村は実は日本の演劇における聖地の一つになっている。が、よりによって台風直撃の時にテント泊を選んだのも怖しいし、澄んだ川の流れる村では、綺麗な水にしか生息できないオロロというめちゃくちゃ刺されたくないアブに恐れながらも、観劇したシラノの公演は見事だった。読んで自分が想像する物語から、こんな作品になっちゃうのかと、興奮した。その旅の記憶も含めて、今回の読書会の読後感は僕の記憶にとても濃くこびりついた。

― 文・松永 健資 ―